現在私は、根本先生のお弟子制度でセミナーを受講しています。
先月のセミナー内のグループワークでのこと。
課題の回答で、Aさんが「人と話すのが苦手だ」と悩みを教えてくれました。
どう接していいのか分からず、雑談が特に苦手。
その場にいる人数が増えれば増えるほど、怖くなってしまうそうです。
「人と話すのが苦手だ」と悩んでいるAさんに対して、私たちはたくさんの「Aさんの長所」を伝えました。
そんな中、BさんがAさんに伝えた言葉がとても印象的でした。
「Aさんはきっと、感じた違和感を無かったものにできないんですね。だから悩んでしまうんでしょうね。」
この「違和感」という表現が、私の心に刺さりました。
とても良い表現で、分かりやすいな~と感動しました。
「人と話すのが苦手」
程度の差はあれど、人と話すのがストレスになるシーンは、日常でもよく見かけます。
- 自分は人見知りだ
- 初対面の人と打ち解けるまで時間がかかるほうだ
- 仲間内の子とは仲良くできるけど、他の子とは一線を引いちゃう
- 会話が続かない人と話すのが苦手
- 声の大きい男性と話すのが苦手
- 大人になっても自分のこと(一人称)を「~ちゃん」で呼ぶ女性と話したくない
- 自分の話ばかりしてくる上司に話しかけるのが嫌
- 話が噛み合わない人と話すのが苦手
- 子どもと二人っきりで何を話せばいいか不安になる
- 少人数グループなら良いけど、大人数グループでは話せなくなる
どういう相手と、どういう状況かで表現はいろいろ変わってきますが、上の状況は全て何かしら「不安」や「不満」を感じるから人と話すのが苦手だと感じるシーンです。
私のとある友人が「気遣いで疲れるからあまり人と話したくない!」というタイプで、よくよく話を聞くと、彼女は人と話すときに本当にいろんなことを考えているんですね。
自分のこと、相手のこと、相手の家族のこと、自分の過去のこと、この会話で自分が相手に及ぼすかもしれない影響のこと、この会話を他の誰々が聞いたらどう思うか、今この場にいる周囲の人達が自分たちのことをどう見ているか、所要時間のこと…等々。
そりゃ疲れるわ!!
ずっと話しかける祖母。決して応じないクロ。
不安、不満、疲れ。
人と話すだけでこんな思いになるのなら、苦手意識を持つのも当然ですよね。
でもその苦手だと感じる下には、どんな思いがあるのでしょう?
違和感の正体
自分が何に怯えているのか?
どんなことを不安に、不満に感じているのか?
今より少しでも具体的に分かるようになると、悩みに対する印象が変わってくると思います。
- 自分の発言が相手の気分を害してしまうんじゃないか?
- 自分が傷つけられないように予防線を張っておかないと。
- 沈黙が続くと、私が面白くないやつだって思われちゃうのが怖い。
- 私だって話したいのに、ずっと聞き役にならなきゃいけないのが納得いかない!
- 上手な聞き役でいないと、居場所がなくなりそうで不安。
- ちゃんと子どもの話し相手にならないとダメな大人だと思われるかな。
そして、その恐怖や不安を持つこと自体が、決していけないことではありません。
恐らく、自分を素直に出せない窮屈な環境だったり、過去の嫌な出来事を思い出させる居心地の悪さを感じていたり、「ここ無理!ここ自分には合わないよ!今無理してるよ!」というサインなんじゃないかなーと思います。
一旦、何も解決しなくても大丈夫です。
人と話すのが苦痛だと感じたら、人と距離を置けば十分です。
「ああ、自分の心がざわついているなあ」と違和感に気が付けることがまず大切なんですね。
で、もし違和感を感じることに慣れてきたら、具体的に何を不安・不満に思っているか、少し考えてみるといいかもしれません。
違和感を感じるために
先日(今更ながら)私もプロフィールページを作成しようと、いろんな方々のホームページを参考に読み漁っていたところ、ヤタ先生の詳細プロフィールでちょっとした気付きがありました。
「プロセスは完璧」という章のゴミ拾いのお話がとても印象的でした。
昔、ヤタ先生が個人セッションを受けられた後に「こんなんで人生変わるの?」と思いながら、ご自分の通勤路のゴミ拾いを続けられたそうです。
その結果、一つのことをずっと継続してきたという事実が、彼に自信を与えたそうです。
嫌なことにはNOと言えるようになり、自分に嘘ついて他人に合わせることがなくなったりと、劇的な変化をもたらしたと書かれてありました。
実は私も、日頃から心がけていることがあります。
どんなに苦手な人でも、
どんなに尊敬できない人でも、
どんなに話しかけたくない人でも、
「感謝の言葉」、「謝罪の言葉」、「称賛の言葉」が頭によぎったら
必ずその場で伝える!
伝えたことを後悔してもいいから、必ずその場ですぐ伝える!
響きはいいですが、決して崇高なモットーではありません。
最初はものすごい抵抗がありました(笑)
(私が彼らに対して本当に感じた感情かどうかは考えないようにして)彼らにその言葉を伝えろ!!!と神様に言われているんだと自分に信じこませ、続けていました。
おかげで今は、思ったことをすぐ伝えられるようになりました。
これは、私の中に生まれたどんな小さな感情も、見逃さずにキャッチしてきたことが自然とトレーニングになっていたんだと思います。
自分の心の中の違和感を感じる精度が高まり、自分の気持ちに嘘をつかないトレーニングです。
ヤタ先生のゴミ拾いも同じかもしれないと感じました。
通勤路の風景なんて「風景以下」で、きちんと認識しないことが多いと思います。
その風景の中から拾えるゴミは無いか?何か変化はないか?
無意識だった「風景以下」を観察対象に変えて、ものを見ていく過程はとても大切なことだと思いました。
そしてそれが自分の心の変化にも気がつけるようになり、違和感を無視できなくなって、やがて素直な自分を出すことに繋がっていくのかもしれません。