短気で気分屋なワタシのパートナーシップ論。

2024-04-18

ずっと欲しかったのに親に与えてもらえなかったもの~「人にしてもらいたいと思うことを先に人に与えよう」の本当の意味~


チョコレートでよくある高カカオ系って、私にとっては甘さ控えめでつまらんのです。
断然ミルクチョコレート系が大好き。

そんなわたくし、なぜか昨年から「家に常備していいお菓子は チョコレート効果|株式会社 明治 だけ」というマイルールを作りまして。


(あくまで常備用。”臨時ならちょこちょこ買っていいよ(チョコだけに)”っていう意味があるのか無いのか分からないルール)


そうすると普段の「甘さ」欲求は満たされないんですよね。

で、この冬に試していたのが、冷凍バナナとチョコレート効果をお皿に入れてレンチンして溶かして食べるという方法。

これがすんごい甘くて、美味しい!!!!

甘さ控えめの食べ物でも、温めると甘さ増しますよね。

きっとこれでダイエットができるだろうと思っていたのに、今年の冬も例年通り無事きちんと太ることができた徳永麻由子です、こんにちは。不思議です。


春の植物たちが芽吹くチカラってすごい。

「先出ししてみようね」というお話し


先日カウンセリング内で、「私ばっかり○○してもらえない!」と訴えるお客様が複数名いらっしゃったので、その際にお話しした内容があります。


「先出ししてみようね」というお話し。


「与えた分だけ、自分も受け取れるんだよ。だからまずは相手に与」って途中まで説明するんですが、秒でみんな苦虫を嚙み潰したような顔をするんですよね。


( º言º)

こんな顔。


「そんな余裕ない」とか「すでに十分やってます」とか「私だってもらう側がいい」とかとか。

不満を思いっきりぶつけられます。


いやいやそうだよね。
そう感じちゃうのも分かる。


ただ、ちょっとだけ誤解しているかも?理解するの難しいよね?と思ったので、今回はそんなお話をさせてください。


「先出し」のほんとうの意味を理解すると、「案外私ってすごいじゃん」って思えるようにもなると思うんです。


今回のポイントは2つ。

  • 「あなたが人にしてもらいたいと思うことを、先に人に与えよう」の本当の意味を知ろう
  • あなたが自分自身の潜在的なセクシュアリティを過小評価しているのが原因だよ

っていう視点です。



「人にしてもらいたいと思うことを、先に人に与えよう」


この記事を読んでくださってるあなたには、「子どもの頃からずっと欲しかったのに親に与えてもらえなくてつらかったもの」ってありますか?

今も普段、「私ばっかり○○してもらえない!」って思っているものってありますか?


とある私のお客様は、「私はずっとお母さんに話を聞いてほしかった。だからお母さんの話を聞いた。ずっと聞いた。辛抱強く聞いた。でも、結局いまだに私の話を聞いてくれない。」とおっしゃってました。

別のお客様は、「両親とも、全部自分たちの思うとおりにならなきゃ気が済まないタイプで、ずっと私は我慢して生きてきた。もう我慢したくないと思って両親に気持ちをぶつけてみても、結局自分たちの好きなように話を持っていくから、私の言いたいことなんて全然分かってくれない。」と落ち込んでいらっしゃいました。

前回の記事では、「私は私でこんな自分が嫌なのに、それを彼氏に言うと悲しまれる。彼氏の気持ちも分かるけど、私のこの気持ちだって分かってほしい。」と悩んでるお客様でしたね。


みんなそれぞれいろんな「欲しかったもの」「今もずっと欲しているもの」っていうのがあると思うんですね。


自由にさせてくれる人生。
私の気持ちを分かってくれる人。
安心感を与えてくれる家族。
私を守ってくれる人。


で、そんなふうに悩まれている方をカウンセリングさせていただくとき、何度か継続カウンセリングをしてからお伝えするお話しが


「先出ししてみない?」
「相手に与える意識を持ってみない?」

というやつで。

これは心理学の「あなたが人にしてもらいたいと思うことを、先に人に与えましょう。そうすれば与えられます。」というルールに基づくからです。


あ、まだブログを閉じないで!



私たちがほんとうに求めてるのはその行為自体ではない


このルールを理解するために、まずは「欲しかったのに与えてもらえなくてつらかった」っていう私たちの心理状況について見ていく。


自由にさせてもらえない。
分かってほしいのに分かってもらえない。
話を聞いてほしいのに聞いてくれない。
誘ってほしいのに誘ってもらえない。

だからつらい。


こういう「○○してもらえなくてつらい」っていう想いには、強烈な「怖れ」がくっついているっていうことは気付きますか?


自由にさせてもらえないことで、私だけ信頼されてないんだなって感じたり。
分かってもらえないことで、孤独を感じたり。
話を聞いてもらえないから、寂しかったり。
誘ってもらえないから、自分だけ分断されたような感じがしたり。


世界で私だけがつながれてないような孤独。

私の居場所なんてどこにもないと感じるような孤独。


これがすっごく怖いんです。

この怖れを感じるのが、私たちは嫌なんです。
本能的に。


私たちは普段「○○してもらえない」っていう不満をすぐ持っちゃうじゃないですか。


だからその「分かってもらえること」とか「話を聞いてもらうこと」という行為自体を強く求めますよね。


でも実はそっちじゃなくて。

その行為にくっついてる「怖れ」が嫌、っていうのが本当のところ。


分かってもらえないと、孤独を感じるから嫌なんです。
話を聞いてもらえないと、寂しさを感じるから嫌だって感じるんです。


私たちがほんとうに求めてるのはこの「孤独を感じないこと」「寂しさを埋めること」のほうなんだってことを、まずは念頭に置いてほしいのね。



自覚できないままだと、その行為にますます執着しちゃう


で、普段の私たちは、なかなかそこまで気付けないんですよ。

実際に日常生活では、「孤独を癒そう」「寂しさを埋めよう」って思うよりも、「分かってもらいたい」「話を聞いてもらいたい」っていう気持ちのほうが大きいでしょ?


皆さんもめちゃくちゃ好きな食べ物を食べてるはずなのに、「満足度100%にならないとき」ってありません?


例えば、私が本当は甘い甘いミルクチョコレートが食べたいと思ってるとするじゃないですか(現実すぎてもはや例え話でも何でもない)

クリーミーで濃厚な甘いチョコレートでお口の中を満たしたくてたまらない!ってね。


「じゃあ私の本当に欲しているものは、ミルクチョコレートそのものなのか?」ってことを考えてみるんです。


(はい、そうです。って答えたいけども。)


厳密にいうと、ミルクチョコレートをお口に入れた瞬間のあの「ああぁぁ美味しいイィィイイィイイ幸せだああぁあぁァァアア!!」っていう多幸感が欲しいんですよね。


私にとってのあの幸福は、ミルクチョコレートを食べれば高確率で手に入るって私は思ってます。

でもお腹が満腹のときに食べてもあんまり幸せを感じない。

あと、いくら好きだとはいえ毎日ミルクチョコレートを食べてたら、やっぱり1回1回の満足度って降下していくし。

「とにかくミルクチョコレートなら何でもいい!」と思って適当に買って食べてみると、コレジャナイ感を引き当てたり。


私にとってはミルクチョコレートを食べる行為そのものが大事なんじゃなくて、その結果得られる「多幸感」が一番欲しいんです。

あの恍惚とした幸せを渇望してるわけ。

ミルクチョコレートは食べても食べなくてもどっちでもいいんです(それはそれで寂しいけども)


でも、私がこのことに気付かないまま生きていたら、一生ミルクチョコレートを追い求める人生を歩むし、ミルクチョコレートが手に入るかどうかばかり考えるし、ミルクチョコレートがあるかどうかで「私の幸せ」が決まっちゃうという、世にも奇妙なことになりかねない。


自由にさせてもらえない。
分かってもらえない。
話を聞いてくれない。
誘ってもらえない。
だからつらい。

って感じる人は「孤独だ」「寂しい」っていう怖れをどうにかしたいっていうのが本当の目的なんだよってお話を先ほどしましたが。


これを切り分けて捉えられないうちは、心が満たされない苦痛から「分かってもらいたい」「話を聞いてもらいたい」っていう行為自体にますます執着しちゃうよっていう構図なんですね。


「分かってもらえないから私は不幸だ」
「話を聞いてもらえないから私は幸せじゃない」


あれ?

私たちの幸せって、条件付きなんだっけ?



「人からもらえないから、自分は持っていない」説を疑う


じゃあ「孤独を感じない」ってどういう状態だろう?
「寂しさを埋められた」ってどんなときに感じるかな?

きっと人それぞれ、様々なイメージがあると思いますが。


何をしても「あなたならきっと大丈夫よ」と信頼の言葉をかけられたとき。

逆に何も口を出さずに、ただただ見守ってくれたとき。

「そっか、それはつらかったよね」と共感してもらえたとき。

私が以前話した内容を覚えてくれていたとき。

私がこれだけあなたを大切に想ってるってことに向こうが気付いてくれたとき。


信頼感。
頼りにされてる感。
気にかけてもらえてる感。
大切に想われてる感。
愛されてる感。
安心感。

そんな人とのつながり。
自分の感情とのつながり。

そんな目に見えない精神的なつながりを感じられた時に、きっと私たちって心が満たされるんですよね。


つまり私たちはこの「つながり」を手に入れたいわけ。


で、


私たちはそういう安心感は「人からもらえないと、自分は持っていない」って信じちゃってるんです。


でもそれって本当にそうなの?って思うんですよ。


あなたから誰かにあげたことって本当に一度もない?

今まで誰かを安心させてあげたことってないのかな?

ちょっとでも相手の孤独を埋めてあげたこと、ない?


あなたにとって大したことなくてもさ。

うまくやれてる自信なくてもね。

相手が思うように喜んでくれてなくても。


でも、ずっとずっと長い間、あなたも与え続けてきたよね?

そのことにあなたは気づいていますか?



私たちは自分の「与えるチカラ」を過小評価しちゃう


心理学でよく言われる「あなたが人にしてもらいたいと思うことを、先に人に与えましょう」っていうルール。

みんな、行為自体をイメージすると思うんです。


相手に分かってほしいから、まずは私が相手を分かろうとしなきゃ。私の話を聞いてほしいから、まずは相手の話を聞かなきゃ。
って。

あなたが本当は欲しいと思っている信頼感や頼りにされてる感、愛されてる感や安心感。これを相手が満足するように先に与えなきゃいけないんだ。
って。


そうじゃないんです。


もうそれ、あなたは今までずーっと人に与えてきましたよね。


お母さんに。
お父さんに。
兄弟姉妹に。
友だちに。
職場の同僚・上司に。
恋人に。
パートナーに。
子どもに。

あなたなりに与え続けてきましたよね。

いっぱい譲ってきましたよね。


「本当はやりたくない」って思いながらも、やってきましたよね。


あなたなりにつながりを作ってきましたよね。
ずっと。


もうあるんですよ。

あなたの中に。


私たちって自分の「与えるチカラ」「影響力」を過小評価しちゃうんです。

「そんなの無い」って思ってる。


そうじゃなくて、本当はもうすでに持っちゃってるんですよ。


人から褒められたり感謝の気持ちを向けられても、「いやいや私なんて大したことしてないから」って言って、「相手の気持ち」と「自分の与えてるチカラ」を無視してるだけ。

「好きでやってるわけじゃありませんから」って認めないようにしてるだけ。


でも本当は持ってるんです。


「あなたが人にしてもらいたいと思うことを、先に人に与えましょう」っていうのは、「もうあなたは人に与えてるということを受け入れましょう」っていう意味なんです。



自分の中に無いものを、人に与えることはできない


私たちが欲しくて欲しくてたまらなかったもの。
親さえも十分に与えてくれず、私たちが今も渇望しているもの。


そんな私たちだからこそ、「与えてもらったときの喜び」を誰よりも想像できるはずなんです。

そんな私たちだからこそ、「つながりの価値」を誰よりも知ってるはずなんです。


それをもうずっと誰かに与えてきた私たちってすごくないですか?


まじですごすぎる。
素晴らしい以外の何物でもない。


「分かってほしいよね。わかるよ。私もそう思うもん。」

「話をきいてもらいたいよね。すごくその気持ち分かるよ。」


そんな心からの共感が私たちなりにあったからこそ、相手に与えてきたはずなんですよ。


例えるなら、お金持ちなんですよ。私たちって。


銀行にはたくさんの貯金もあって、お金以外の資産も持っていて。

自分では「持ってない」って思い込んでるんだけど、実際持っちゃってるんです。

じゃないと、お金を人に振りまいてられませんから。

お金の価値を知ってるから。
お金があったらどれだけ安心感が得られるか知ってるから。

だから人に与えてるはずなんです。

「私のお金はまだまだあるから大丈夫だよ」って潜在的に知ってるからこそ、人に与えることができてるはずなんです。


だから、

私って心が豊かなのかもしれない。
私って慈悲深いのかもしれない。
私の愛って大きいのかもしれない
私の影響力って案外すごいのかもしれない。

そんなふうにただただ知っておいてほしいんです。

あなたがまだどんなに孤独を感じていても。
あなたにまだどんなに満たされない想いがあるとしても。

あなたがそれを信じても信じなくても、結局すでにあなたが持っていることに変わりはないんだから。


私たちは、自分の中に無いものを、人に与えることはできません。



「与えてるチカラ」=自分のセクシュアリティ


「自分の中に無いものを、人に与えることはできない」んだとしたら、私たちはどこでそれを手に入れたんでしょうね。

「私の与えられるものはまだまだあるから大丈夫だよ」って思えてるのも、どうしてなんでしょうね。



それが自分自身の潜在的な生命力(セクシュアリティ)なんですよね。


植物の種から芽が出るように。
泉から湧き水が絶え間なく湧き出てくるように。

私たちの潜在意識が持っているチカラというのが、心の内側から溢れ出ているんです。
みんな。


見て見ぬふりをしてるだけ。
私たちが認められないだけ。
自分はすごいんだって思うことに対して許可を出せてないだけ。

でも私たちは、私たちの生命力によって、すでに持ってるんです。



キリスト教の聖書で私が今も大切にしている言葉があってですね。

簡単にいうとこんな言葉。


私たちはすでに許されている。だから悪を許しなさい。
私たちはすでに愛されている。だから敵を愛しなさい。
私たちはすでに与えられている。だから奪っていく人には与えなさい。

それをケチったところで、どんな恵みがあるというんだ。


すごく難しいんですよ、これ。

でも心に残ってるんです。


だから最近は、私が自分の問題と向き合う時、「もしも私がすでに愛されてたとしたら」「もしも私がすでに持っていたとしたら」っていう視点で自分自身を観察するようにしてまして。


そうすると、自分の「与えてるチカラ」「生命力」を過小評価してるせいでこの問題が起きたんだなあと思えることばっかりなんですよね。

だからよく反省してます。


私たちが「私ばっかり○○してもらえない!」と思うときっていうのは、自分のセクシュアリティを過小評価してるとき。


私たち自身がその価値を受け取れるようになればなるほど、その分キャッチできるようになります(自分の中に無いものを私たちは見ることができないから)

その価値を味わう出来事に遭遇するようになったり。

「なんだ、もう既にもらってたじゃん」と気付けちゃったり。


そうやってずっと欲しかった「つながり」「安心感」「豊かさ」が自分の中にあったんだってことに気付いていくんだと思います。

そのことに気付けてやっと、人との間でもつながりを感じることができたり、対人関係で安心感をかんじられるようになるんです。


これが「あなたが人にしてもらいたいと思うことを、先に人に与えましょう。そうすれば与えられます。」と言われてる所以。


だから自分の価値を受け取るって難しいけど最強だなって思うんです。


私自身もまだまだ受け取れていないことばかりなので、皆さんとこの視点を共有して、一緒に豊かなステージへと成長していきたいです。


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2 comments:

  1. まゆこさん。
    こんばんは(^^)



    ○○してもらえない、の気持ちは
    カウンセラーさんには受け止めてほしいかなーと
    私は思いました。

    受け止めてもらうって、
    立ち直りの第一段階。

    カウンセリングでこういう人がいた、とネタにされるのは、
    嫌な気持ちになります。

    ネタにする許可をとってるならいいのですが。


    私は、
    そのクライアントさんのように
    カウンセリングで素直に表現できません。


    もし、このクライアントさんが私ならば、
    せっかく心開いて、
    みっともない自分をさらけ出したのだから
    受け止めて欲しいなぁ、と
    感じます。


    もし、私の担当カウンセラーさんが
    私の悩みをネタにしたなら
    もう話したくなくなります。

    信頼できなくなります。


    まゆこさんのクライアントさんは、
    大丈夫なのかなぁ、と思ってしまいました。


    顔文字も、、、
    なんだか自分を晒されたみたいな気持ちにならないかなぁ?と。


    ちょっと、ビックリしちゃって
    コメントしました。

    失礼しました。



    返信削除
    返信
    1. 嬉しいコメントをありがとうございます!

      私の表現でびっくりさせてしまったんですね。
      私の補足や説明が十分でなく、大変申し訳ありませんでした…!

      いやいやもうお恥ずかしいことに、私はこうやって調子に乗ってしまうことが多く、色々と配慮が足らない言動をしてしまうんです。
      なのでこうしてご指摘いただけると、その度に反省して背筋がピンとなるので感謝でいっぱいです。

      そしてそして、何より!
      クライアント様のことを気にかけてくださって本当にありがとうございます。

      私がカウンセリング内のことをブログでネタにさせていただく場合は、クライアント様に事前にお許しをいただいた方のみ使用させていただいてますので、どうかご安心くださいね。

      (ちゃんと明記しろよ!ってね!)

      そして「○○してもらえない」の気持ちをカウンセラーに受け止めてほしいって思われるの、私もすごくよく分かります。
      信頼関係ってとても大切ですよね。

      お客様がご自身の気持ちを打ち明けてくださるのって本当に勇気のいることだと思います。

      なので今回の記事でお話しした視点というのは、私もそういう状態のお客様にお伝えすることはなくてですね。
      継続的にカウンセリングを何回も受けてくださったお客様限定で、信頼関係がお互いに出来上がったうえで、お客様の心の状態を見極めてからお伝えする内容でした。

      (だからもっとちゃんと明記しろよ!ってね!)

      「カウンセラーを名乗ってるんだからそういうところもっとしっかりしなさいよね!」って思いますよね!全くもう!

      こんなまだまだ至らないところのある私ですのに、そんな私のブログを読んでくださり感謝の気持ちでいっぱいです。
      コメントとても嬉しかったです。

      本当にありがとうございました!

      削除

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