短気で気分屋なワタシのパートナーシップ論。

2024-04-10

【優先順位の自覚】大嫌いな私を大好きだと言ってくれるひとを、どうしたら大切にできますか?


今年は2回もお花見ができました。

九州の開花は例年より遅めで、曇り続きだったので桜を楽しめるかどうか不安だったんですが、とてもきれいな桜をあちこちで見かけました。

この時期って「あんな山の上にも桜があるんだ」って気付くことができる唯一の季節なんですよね。

観光地化されていない自生してる桜の木は、どれだけきれいなんだろうと一人想像しては、山が欲しいと思ってしまう私でした。

こんにちは!
心理カウンセラーの徳永麻由子です。


普段、人と接していて、

「こんな自分が嫌になる」
「自分を殺してほしくなる」
「もう消え去ってしまいたい」

って感じること、ありませんか?


先日そんなご質問をいただいたので、今回はこちらに回答したいと思います。




これはわたしのことですか!?とめちゃめちゃ縦に首を振りながら読み耽っておりました!!! 

今日は三つご相談があり、ご連絡させていただきました。


 ①
ハラキリ欲はどうしたらなくなりますか?

私はどーーーーーーぉしても、聖人君子&マリア様でいたいらしいのです(ドMか)
どんな態度の人でも愛してあげたいって思っちゃうらしいんです(知らんけど)
愛せないことが悲しみで、罪悪感で、ハラキリしたいくらい悲しいんです(やはり武士か)


大嫌いな私を大好きだと言ってくれるひとを、どうしたら大切にできますか?

今でも私は自分のどんなところもまるっと受け入れられるようにはなっていないのですが、パートナーは私が感情的なところも、色々考えてすぐぷりぷり怒るところも、全部大好きって言ってくれるんです。
でも、こんなにも自分で大嫌いな自分を、好きだと言ってくれる彼を、なんというのか、信頼できないというか、もどかしい感触なのです。


もしもなくならないのなら、どうしたらハラキリ欲を認めてあげられますか?

また、そんな素敵なヘラクレスくんでも唯一怒ることがあって、それは私が「ハラキリしたい」「打ち首されたい」という内容のことを話すことです。
それは私の素直な気持ちであって、本当に本当に、本当にそのくらいの気持ちなんです。

だけど彼は、「それは俺の気持ちも考えて欲しいな」と優しく小さい子に諭すように言ってくれるんですが…。
彼の気持ちももちろんわかるし…。
でも自分の気持ちも自分の気持ちとして認めてあげるにはどうしたらよいでしょうか。

(Mさん)
※元ネタのMさんとは別のお客様です


LINEでの私からのお返事。


えっと、これは武士からのご質問でしょうか?ってぐらいの時代背景ですね。

Mさんが生まれる時代がもうあと450年ぐらい前だったら、そのへんの武将たちをけちょんけちょんに貶すぐらい名を馳せる女城主として日本史の教科書に載ることになっていたと思います(誉めてる)


ほんとうに何時代の人に向けて記事を書いたらいいのか分からず、戸惑いながらも一応一生懸命考えてみたいと思います。


でも案外、この「武士性」って良いポイントかもと思いまして。


ちょっと小難しいかもしれませんがぜひ最後までお付き合いください!



「周りがどれだけ認めてくれても拙者は受け入れられぬ」国衆


要は先日の記事でしたお話というのが、

もしあなたが「嫌いな人は嫌いでいい」と割り切れないなら、それは「お前らがそんな態度をとってくるから、そんなお前らを私は愛してあげられないじゃないか!!!」という罪悪感が深く関係してるんだよ。

ということと、

「お前なんか嫌いだ」という気持ちと「そんなあなたを愛してあげられなくてすみません」という気持ちはどっちも本音なのに、そこで葛藤することで抵抗感が大きくなっちゃうので、「私の本音ってこういうことなのかも」という可能性を受け入れることに対しても抵抗感が出てきちゃうんだよ。

っていうものでした。


そして今、2文でまとめられた自分に驚愕。
自分で自分を褒めてあげたい。


でも「そうはいっても納得がいかない!」とか「そう言われてもいまいちピンとこない!」とか「私ってそんなにヤツらを愛したいなんて思ってるとは思えないんだけど!」っていうご感想を実はちらほらいただきまして。

(いつも武士の皆様ありがとうございます)


今回ご質問をいただいたMさんも、似たような感じなんだと思います。

恐らくいろいろ腑に落ちないんですよね。


しかも「自分を振り回してくるヤツら」や「こっちがもっと何かしてあげなきゃいけないんじゃないかと思わせてくるヤツら」や「こんな心境に毎回陥る自分」に対して何とも表現しづらい「あああああもうやだあああああ」っていう感覚が込み上げてくるんじゃないかなあと思いました。


一言でいうと「こんな自分が嫌になる」ってことなんだと思います。


カウンセリングでも他のお客様に「自分を殺してほしくなる」「きれいに消え去ってしまいたい」って言われることが少なくなくて。


それがMさんにとっては「ハラキリしたい」「打ち首にされたい」という表現なんだろうなと。


とんだサムライスピリッツ。

いやいや。
今、令和だからね???


しかもこのMさんは、「そんな自分自身を愛してくれるパートナーがいるにもかかわらず、ハラキリしたい」んですって。


でもこれってパートナーがいる・いないに限らず、私たちってみんなやりがちじゃないかなああと思いました。


周囲の人がどれだけ「それがあなたらしくて素敵だよ」とか「私は良いと思うけどね」って自分のことを褒めてくれたとしても、肝心の本人は「私はそうは思えない(思いたくない)」って頑なな状況ってもはやデフォルトじゃないですか。

自分の欠点を褒められたときとかも。


私たちってこの「私はそうは思えない(思いたくない)」の志の強さが武士なんですよ。


「周りがどれだけ言うたとて、拙者は受け入れられぬ!」っていう主張が強いの。



私たちは志の優先順位を持っている


大河ドラマ観てると、そういう武士がたくさん出てきます。
むしろそういう武士しか出てこない。

気高さ、誇り、恩情、義、報い。

そういう精神が一番大事らしく、「自分の命(へたしたら身内の命も)は2番手以下」みたいなお話がたくさん出てくるんです。


で、これって現代の私たちの心にも残ってるよなあって思いまして。


私がブログでご相談者文に回答するときに、ご相談者さんの中にある愛情や才能を説明しても、当のご本人は「ありがとうございます。でも私はやっぱりそうは思えないんです。どうしたらいいでしょうか。」ってご感想を送ってこられるんです。


私がカウンセリングでいくらお客様の良さや素晴らしさを力説しても、当のご本人は「まあ、そう言っていただけて、あ、ありがとう、ございます(最後は聞こえない音量で)」ってやや否定気味に言うんです。


私がこうしてお客様からご感想やLINEメッセージをいただけることをどんなに喜んでいるか、どんなに嬉しがってるかを文章にしたためて絵文字多めのお返事を送っても、「そんな大げさな」って言って信じてくれないんです(徳永がうざがられてる可能性も否めない)


私にとっての真実を伝えただけなんだけど、みんなは半信半疑どころか「0信100疑」ばりの反応。


お世辞かも。
オーバーなだけ。
よいしょしたいだけでしょ。
これで調子のっちゃだめ。
私は人を傷つけるんだから。
私なんて何もできてないんだから。


そういう罪悪感や無力感が全面に出ちゃうから、相手からの好意や賞賛を受け取ることにセーブをかけちゃうんですよね。


だから信頼にも制限をかけるんです。

「それがあなたらしくて素敵だよ」とか「私は良いと思うけどね」っていう相手の想いを信じることへの制限。


自分の自分に対する評価を貫くことが1番で、相手からの好意や称賛を信じることが2番手以下。


私もこの記事を書いててグッサリ来てる最中なんですが、このことを自覚するのって大事だなあと。

こんな優先順位になってるって普段自分じゃなかなか気づけないですからね。



相手からの好意を信じることが2番手以下な理由①


で、じゃあなんで相手からの好意や賞賛を受け取ることを、私たちは最優先事項にできないのか?

正しくは、「最優先事項にしたくないのか?」ですが。

※心の世界は「can not」じゃなく「don't want」の法則だよ


誤解を恐れずに言うと、それは、「私たちが嘘をついているから」かもしれないっていうのが1つ目の可能性。


誰かと向き合うときも。
誰かと話すときも。

私たちが真実を隠しながら接しているとしたら?

こっちが真実を話していないんだから、相手の言葉や愛情だって嘘かもしれない=信じることができないって思ってしまう可能性もありますよね。


自分と向き合うときも。
私たちが何か嘘をついているとしたら?

自分で自分の気持ちの解釈をコントロールしようとしたり、本音を抑圧してるんだから、自分の気持ちや考えにも自信が持てなくなると思うんです。


で、なにもこの「嘘をついている」っていうのは、悪質なものじゃなくてですね。


「我慢してる状態」「無茶してる状態」っていうのも当てはまると思うんですね。


本当は仕事で疲れてるんだけど、「ううん大丈夫だよ」ってちょっと無理してみんなに笑顔を見せるようにしてるとか。

本当は職場に嫉妬してる人がいるんだけど、「あなたがうらやましいです」っていう気持ちを無視して別の感情で対応しようとしてるとか。

私が落ち込んでるんだから、彼氏のお前なら「大丈夫?今日は俺が全部家のことやるからゆっくりしてな」って優しくキスしながらスマホ捨ててでも言ってこいよって心では思ってるんだけど、何も言ってこない彼氏に対してイライラしちゃってるとか。


自分の許容範囲を、量・質・頻度がどれか一つでも超えて自分をごまかしている状態も「嘘をついている」と思ってほしいんです。


「ああ、私今無茶してるなあ」って自覚できてれば嘘にならないんだけど、だいたいこういう我慢とか無理って無意識にやっちゃうじゃないですか、我々は。

だから悪意も無いし、自分じゃ気付けない。


でも心が潜在的に「嘘をついている」って自覚があるからこそ、相手からの好意や賞賛を信じることに懐疑的になってしまうのも無理ないと思うんです。



相手からの好意を信じることが2番手以下な理由②


そしてもう一つ。

「そうまでして守りたいものがある」かもしれないっていうのが2つ目の可能性です。


武士が自分の命を惜しまずに、気高さ、誇り、恩情、義、報いを優先するのは、それだけ「守りたいもの」があるからです。

自分のプライドやお家の存続、仕える主人や将軍家などなど。

命と引き換えにしても守りたいものがあるからこそ、頑ななんですよね。

最優先事項があるんです。


むしろそういうものを守って命を散らすことこそ美徳とする遺伝子は、現代も脈々と受け継がれてる節はありますよね。

日本人がこれだけ桜が好きなのもうなずけます。


だから、もし私たちにもそういう最優先で守ろうとしてるものがあるとしたら?っていう視点で見てみたいんですね。


私たちが他人から「それがあなたらしくて素敵だよ」とか「私は良いと思うけどね」とか「そのままのあなたが大好きだよ」って言われた時。


その言葉を受け取らないことで何(誰)かを守っているとしたら、どんなものを守っているんだと思いますか?


「だってあの時のお母さんは私にそんなこと一言も言ってくれなかったもん」

「ずっとお父さんは褒めてくれなかったのに、矛盾しちゃうじゃん」

「今までの私の苦しみはなんだったの?ってなるじゃん」

「これからチャレンジしてかなきゃいけなくなるじゃん」


こういう誰かの言葉、過去の傷ついた自分自身、挑戦や成功を手にしないための環境、もう攻撃されたくないっていう心の傷。

そんな「守りたいもの」が私たちの中にあるのかもしれない。


たとえ現状それが自分を不幸にしてるんだとしても、今までずっと守ってきたものを手放すのってすごく怖いんですよ。

変化はとっても怖いんです。


だから受け取るわけにいかないんですよね。



相手からの好意を信じることが2番手以下な理由③


ちょっとイメージしてみてほしいんですが。

相手からの愛を受け取り拒否するとき、あなたはどんな言葉で突っぱねてます?

相手が形を変え、言葉を変えてあなたに好意や賞賛を送るたびに、あなたは何回「そんなはずない」って自分に言い聞かせてますか?


そのときにあなたが見ている自分ってどんな姿ですか?

その姿を、普段から隠していませんか?


「こんな私が愛されるわけがない」
「こんな私が許されるわけがない」
「こんな私が生きていていいわけがない」

こんな信念、持ってませんか?


で、恐らくなんですが、私たちはこの信念を相手に覆してほしいんですよ。

自分自身じゃ手放せないから。


だから相手からの好意を突っぱねて、突き返して、受け取り拒否して。

それでもめげずに相手は伝えて続けてくれるか?
この私を諦めさせるぐらい執念を燃やしてくれるか?
私を信じさせてくれるのか?


そんなふうに「相手を試してる」かもしれないよねっていうのが3つ目の可能性。


「こんな私を愛してほしい」
「こんな私を許してほしい」
「こんな私でも生きていていいって言ってほしい」

この気持ちを素直に相手にぶつけるのが怖いから、相手からの反応を確認することでしかコミュニケーションをとれないのかもしれませんよね。


相手からの言動や反応がどうしても気になってしまう人っていうのは、この③の傾向が強め(私はこれに当てはまる)

どうしても受け身になっちゃうんです。



人に自分の想いを分かってもらえるかどうかを気にしちゃうのは自己承認できていないから


こうして可能性をいくつか考えてみると、私たちって「いかに自分を大切にしていないか」っていう見たくもない現実がチラついてきません?

自分のことをごまかして無理をして。
自分の幸せよりも他のことを優先して。
自分の価値の決定権を相手に委ねて。

どんだけ優しいの!


その生き方が好きならいいんですよね。

幕末の武士は、最後まで武士でいることを望んで戦った人もいれば、早々に自分から退いた人もいるわけで。

自分の好きな道を歩んでいいと思うんです。


どっちが正解っていうのもないしね。


「だから大切なのは選択なんじゃないかなあ」っていうのが今の私からの精一杯のお返事です。

(これだけ記事を書いた意味)


相手からの愛を受け取ることにセーブをかけちゃう原因の可能性を今回は3つ挙げみましたが(これ以外の可能性もまだまだあると思う)、こういう「もしも」の目線で自分を見続けること。

そして、どんな状況だろうと「私が選択しているんだ」っていう意識を持つこと。


それが結局は「自分を大切にしている」ことにつながってくると思ったんですよね。


他人に自分の想いを分かってくれるかどうかを気にしちゃう心理の裏側には、いつも無意識に自己犠牲をしたり、無自覚で自分の決定権を相手に譲っちゃう自分がいるからですよね。

自己承認できない分、他者に承認してもらえないと困る!っていうね。


だから今の私たちは、とにかく「意識する」「自覚する」「自分で選ぶ」っていうのが目下の課題なんじゃないかなと。

シンプルだけど、これが難しいですからね。


私もいまだに「こんな自分が嫌になる」って毎月痛感する イベント トラブルが起きますが、そんな気持ちを無理やり消そうとするんじゃなく、一生のお付き合いと思ってこの気持ちと共存するしかないと思っております。

で、それを自分ひとりで付き合っていくんじゃなくて、誰かとつながりながら&支えてもらいながらでいいと思うんです。


Mさんは彼氏さんからの愛を受け取れない(信じられない)とのことで、それに関連してもう一つ書きたかったテーマがあるんですが、今回はここまで。

続きは次の記事で書いていきますね!



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また、LINEメッセージでご感想などを投げてくださると、徳永が喜んでお返事します!


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