短気で気分屋なワタシのパートナーシップ論。

2024-06-20

本音とエゴについて。一見ポジティブな目標もエゴの声だったりする。


最近、ん猛烈に食べたい食材がありまして。

パラストミビーフ?
パスミトラ??

言えたためしが無いうえ、覚える気が無い。
でも大好きです。

なのにこういう時に限ってことごとく行くコンビニで欠品中なんですよね。ハムコーナーにも無いし、サンドイッチの具にさえ入ってない。

仕方なくこの欲求を満たすためにと初めて買ってみたローソンのハムカツがめちゃくちゃ美味しく、ごはん山盛り1膳が軽く消えました。おやつとして買ったのに。

39歳にして初めて食べたハムカツ。
これからの楽しみが増えたなーと嬉しい嬉しい徳永麻由子です。ぶひー!あ、こんにちは!

福岡城の赤坂御門跡はこの辺かな~と脳内で妄想をたぎらせながら散策したぶー。痩せないぶー。


本音のように聞こえるエゴの声


「私って全然成長してないよなあ」
「私はなんで頑張れないんだろう」
「もっと自分を好きになれたらいいのに」
「いつまでも行動できない自分が嫌だ」

そんなことを日々感じては落ち込んでしまう同志のお客様が私の周りには多くいらっしゃいまして、わかるわかるーと感じながらいつもカウンセリングをしています。

私も公私ともに、「いつまでも成長しない」「またやらかした」「全然動けない」と自己嫌悪してばかりなんですよね。ほんとうに嫌になっちゃいますよねー!


私たちがこういう自己嫌悪しちゃうときって、きっと誰かと比べてそう感じるんじゃないかなと思うんですよね。周りに、成長していってなんだか幸せそうにしている誰かがいたり、自分だけがずっと「底」に取り残されたような感じがしたり。


誰かを見上げるあまり、自責に苦しむってあるあるですよね。


ただですね。
AさんにとってBさんが「すごいなあ」と見上げちゃうような存在であっても、そのBさんも他の誰かを見ては「敵わないなあ」とさらに見上げてる存在がいるもんですよね。比較っていうのは合わせ鏡のように無限に続くんですよね。


だから、どれだけあなたが自分のことを自己嫌悪しちゃうとしても、そんなあなたのことを「すごいなあ」「いいなあ」と羨ましがったり憧れてる人っていうのがが必ず存在するはずなんですよね。


そうだとしたら、あなたが今抱えているモヤモヤは晴れますか?あなたが今抱えている問題は解決しますか?


しないのであれば、あなたが誰かを見上げて感じる「いいなあ」「私もあんなふうになりたいなあ」という声はあなたの本音ではなく、それってエゴの声なんじゃないかなあと思うんです


(もしモヤモヤが晴れて行動できる・解決するなら、この後の記事は読まなくていいよ!)



エゴは諸刃の剣


YouTubeにアップした自分が喋ってる動画を観ては、「ほら、またこの外面いいような喋り方してる!だから相変わらず八方美人なんだよ、あたしゃあ!!」と徳永の脳内で鳴り響く悪魔の声もエゴの声。

「今日は半月ぶりに掃除機をかけたからご褒美にファミマのダブルシュークリームを食べよう♪」「今日は何ヶ月もずっと床に置きっぱなしだった洋服を洗濯機に突っ込んだ(洗ってはいない)から、ご褒美にセブンのダブルシューを買ぉおうっと♪」と徳永の心を誘惑してくる天使の声もエゴの声。


エゴっていうのは、一見、自分の心の声(本音)のように聞こえるけど、私たちの心の中にある別人格のようなもののこと。過去の心の傷から生まれたものです。

「成長しないと」「ご褒美は頑張った後じゃないと」「遊ぶのは宿題終わってから」「男好きだって思われないようにしないと」「調子に乗っちゃダメ」みたいな数千・数万という大量のルールを作り出して、過去と同じような傷をもう作るまいと自己防衛しようとするんですね。


だからそのために常日頃から私たちに「こうしないと」「ああしないと」と訴え続けてくるんだけど、それと同時に、そのルールに達せない自分がいようものなら猛烈に自己否定をしちゃうっていう側面があります。
めっちゃ諸刃の剣。


だからどうしたって私たちの頭と心をかき乱してくるし、影響力もハンパないし、どうしても逆らえない・無視できないっていうのが普通なんです。



「なんとなく分かる」は「潜在的に知っている」という意味


でも本来、私たちの価値は不変・不動。
自分の価値を高めるために何かをする必要はないし、何かしたからといって自分の価値が高まることはない。そこに優劣もつかないし、誰かと比べられるものじゃない。本来はそういうものです。


で、これを理解しろ!とか腑に落とせ!ってことは私は一切言いません(言わないんかい)


でも、言わんとしてることは伝わりますよね?
心から信じることはできなくても、人の価値という概念としては理解できますよね?


なんとなく分かるよということであれば、それはあなたの中にもこの「私たちの価値は不変・不動」という文脈を有していることになります。「潜在的に分かっている」ってことです。


徳永が外面よく話そうと話さなかろうと、調子に乗ろうと乗らなかろうと、私という人間に「マル」も「バツ」もつかないはずなんですね、本来(いやめっちゃ嫌だけど)

何かを頑張ったからそのご褒美にとシュークリームを食べてもいいし、何も頑張らなくてもシュークリームは毎日食べたっていいはずなんですよ、本当は(体重は怖いけど)


人として成長してもしなくても、自分を好きになれてもなれなくても、行動できてもできなくても、私たちの本質(在り方)には関わりの無いことのはずなんですよね。


それなのについつい私たちが誰かと比較したり、常識や社会の基準に則って、「これができるから○○だ」「あれができないから○○だ」と条件付きで判断しているものがあるとすると、それは私たちの本来の本音じゃないよねって思うんです。
エゴの声なんだろうなあと。


こんなこと言うと、「じゃあ誰にも憧れるなってことですか?」「何かを目指したい気持ちは本音じゃないっていうんですか?」ってツッコミが入りそうですね。

カウンセリングでも「じゃあどうすればいいですか?」「どうやったら本音とエゴの声を見分けられるんですか?」っていうご質問をいただくし、「自分の本音にちゃんと気付いて、その声に従いたいです!」「早くこのしんどい状況から抜けたいです!!!!!」って言われます。


だよねだよね、すごく分かるよ。
でもちょっと待ってね。


それもエゴの声なんじゃないかな?



エゴの基準からくる欲求


私はシュークリームが食べたい!って心から思ったら、朝イチでも深夜でも自然とコンビニに向かうような生活を送ってます。みなさんはどうですか?

たとえどんな問題や障害があろうと、食べたかったら関係ないんですよね。もし手持ちの現金が無かったらPayPay残高をチェックするし、PayPay残高が足りなかったらクオカードどっかにあったなって家中探すし。最悪、スーパーの50円以下のシュークリームでもいいやって妥協します(いつも例えがシュークリームなカウンセラーでごめんだよ)


何かを目標にして頑張ってみたい!
自己肯定感あげたい!
自分を好きになりたい!
自分らしく生きたい!

こんなふうに思ってすっと動けるんなら、徳永のシュークリームのようなものですよね。なんの問題もなく動ける主体的な本音です。


でももし、「成長できる人はすごい(=成長できない人はダメだ)」っていうエゴの声だったとすると、「(成長したくないけど)成長しなきゃ」状態なわけですよ。

「何かを目標にして頑張ったら、人生楽しく生きられるんじゃないか」「自己肯定感上げたら少しは楽になるんじゃないか」「自分を好きになったら自己嫌悪せずに済むんじゃないか」みたいなのも同じですよね。「(やりたくないけど)やらないと」っていう構図。


なので、私たちが抱く本音や欲求のニュアンスに、「そうしないと楽になれない」とか「そうじゃないと幸せになれない」といった要素が含まれてるようなら、それは私たちの本音ではなく、エゴの基準からくる欲求の可能性が高いわけですね。



エゴの声とは喧嘩しない


だから変な話に聞こえるかもしれませんが、しんどい感情でいっぱいになっている今の私たちの状態で十分なんです。

「私って全然成長してないよなあ」「私はなんで頑張れないんだろう」って思い悩んでしまう今の状態でもいいし、私たちに何か欠けているものがあるわけでもない。ましてや、何か問題を抱えているわけでもないと思うんです。


本音国VSエゴ国という戦争状態のところに、「こっちに味方しないと楽にならないぞー!」「早く片付けないと私だけずっとこの苦しみが続くぞー!」っていう第三国の主張をわざわざ持ち込んで余計に面倒くさいことにしてるイメージです。

いいんですよ。
それぞれ矛盾した主張があって。

実際の国同士の戦争でも同じですよね。
無理に抑え込もうとすると、どうなるか一目瞭然。


だから、本音とエゴの声を区別するだとか、白黒はっきりつけるといったことよりも、まずは「今の私のままでまるっとOKなんだよ」ってことに少しでも意識を向けるのがいいんだろうなあと感じています。


「こんな私のままでも、いいんだよ」
「頑張れない私でも、いいんだよ」
「自分を好きになれない私でも、いいんだよ」
「いつまでも行動できない私でも、いいんだよ」


エゴの声と喧嘩するのでもなく、打ち負かすのでもなく、無視するのでもなく、「そっかそっか。そう感じちゃうよねー」とただただ観察するだけ。だってもともとは自分の一部だからね。


そういう対話ができるようになってくると、エゴの声に必要以上に振り回されなくなるので、自分の本音がどれか(本音の優先順位がどれか)を自然とキャッチしやすくなるんです。
そうすると、「あれやりたい」「これやってみたい」「ちょっと行動してみたい」「チャレンジしてみたい」って思えてきて、結局さらりと行動にうつせちゃうものなんですよね。私たちって。


そんなワークもあるよ▼
私たちが「何か決断できないとき」とか「悩んでも悩んでも決めきれないとき」っていうのは、「本当にできるのかどうか?」系の声が頭の中をぐるぐる回ることが多い。しかもめちゃくちゃもっともらしく聞こえる。その内容が、考え方として正しいのか?間違ってるのか?ということは考えないこと。なぜならどっちも本音だから

それが結局、「自分らしい生き方」なんだと思います。
力を入れなくても、自然体で、自由です。

私はカウンセリングでもそういう心持ちで、お客様と一緒に練習に取り組んでいます。今の自分自身にマルをつけてあげられるように、伝え続けますよー!


今度YouTube LIVEします!見に来てね!



徳永に相談したい!ブログに載せてもいいよ!


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