短気で気分屋なワタシのパートナーシップ論。

2024-08-23

頑張れない自分に自己嫌悪しているときは加害者意識を持っている


ぜんぜんニュースを見ない私。
あらゆるジャンルの時事ネタについていけんとです。

それでもアプリの広告欄とかYouTubeのおすすめ動画欄で、「誰か人間関係のトラブル(炎上)でもあったんかいな」っていうちょっとした情報が入ってくることってあるじゃないですか。

最近、久々にそういうシーンにでくわしまして。あららーと思いました。

構図で言えば、「被害者と加害者」がいるわけですよ。
これは一般人同士の人間関係トラブルも総じて同じよね。

で、私はあららーと思いながらも、


「私もいつも加害者だったからなー。」って過去のことを思い出し、勝手にダメージを負いました。


繰り返される切腹マインド。
思い出すたびに反省モード。
心の中はさながら流刑。(しかもセルフ)

どうもこんにちは、徳永麻由子です!



何もこれは私が特殊なわけでもなく、私のところのお客様にも似たような(なんなら私よりも高レベルな)方々が勢揃いしていらっしゃるので、共感してもらえるに違いありません。

「人を傷つけた自分」にまつわるエピソードばかり思い出すじゃないですか、我々。自己認識がそうだからっていうのもあるけど、実際にキャリアもあるからぐうの音も出ないっていうね。実績ばかりが輝いとります。


で、著名人だろうと私たち一般人だろうと、何か人間関係のトラブルがあったときには当然ながら「被害者と加害者」と称される構図があるわけで。

その見知ってしまった渦中のトラブルの内容がどうであれ、事情がどうであれ、背景がどうであれ、加害者なる人たちが周りから攻撃をされてたり、𠮟責を受けていたり、反省が足りないと追加で怒られている様子を見てしまうと、


間違いじゃないんだけどねーーー。

っていつも思うんですよね。


加害者に味方したいの?っていうと、「いえ、私は私のところに来てくださったお客様全員の味方です」って秒で答えます。(何が言いたいんだ)



で、私なりに今回のことでいろいろ考えてみたところ、タイトルに書いたようなことに行き着いたので、今日はそんな私の脳内を垂れ流ししてみようと思います。



まず、先にひとこと。

被害者なる人は被害を被ってるわけだからそこは絶対軽視しちゃいけないっていうのは大前提。守ってあげなきゃいけない存在だし、同じことが繰り返されないようみんなで一緒に考えていく・取り組んでいく・モラルを育てていくってとても大切。それは100%同意なんです。


ただですよ。


その「守ってあげよう」「育てていこう」とみんなが感じている対象の中に、加害者なる人が含まれることがめったに無いわけですよ。当然のことながら。


それって本当の意味での「解決」にならんよなーって思うんです。


(もちろん何をもって解決と言えるかはわからないけど)


とにかく私は「被害者と加害者」と称される構図そのものがしっくりこない。
しっくりこないというか、いろいろ「前提」を疑いたい。


そのために、私たち一人一人の内面のケースで考えてみました。


・恋愛や結婚ができない
・親の期待に応えられない
・頑張りたいのに頑張れない
・社会にうまく適合できない
・日々楽しめない


こういうことで悩むとき、こんな自分に自己嫌悪しているとき、ここにも被害者と加害者の構図が存在していることにみなさんは気づきますか?


たとえどんな親であれ、友人であれ、職場であれですよ。他人から寄せられる期待、あてがわれた価値観ってあるじゃないですか。




種類も程度もさまざま。
悪意のあるもの・無いもの、いろいろ。

他人からと言いつつ、自分自身で背負ったものも含みます。


で、このときに私たちが「しんどい」「つらい」「やめて」って思っちゃうとします。


例えば、過干渉な親からずっと自分本位な期待を押し付けられて育って、生きづらさを感じながらも頑張って親の満足いくような人間になろうとしてるのに、そんな自分の頑張りなんか全然見向きもされず、相変わらず親は言いたい放題でうんざり、とか。

かといって自分のやりたいように生きようとすると、親は必ず反対してきたり嫌味を言ってきたり、どうにか自分のコントロール下に置こうとしてきて自分はさながら籠の中の鳥みたいだ、とか。

みんなまっとうな人生を送っているのに、自分だけいまだに成長できてないまま、時間が止まったままな気がして置いてけぼり感がハンパなく辛い、とか。

結婚がすべてじゃないって分かっちゃいるけど、いつまでたっても結婚できない(恋人ができない)自分は何がおかしいんだろう?何がいけないんだろう?他の人ができてて私ができないってなんでなんだろう?って猛烈に悲しくなったり、とか。


「こうありなさい」って他人から勝手に押し付けられたものもあるし、「こうありたい」って自分が好き好んで抱いたものもある。
そんないろんな理想を私たちは常日ごろ意識しちゃいます。


これができたら幸せ。
これがないから不幸。
そんな条件付きの価値観も同じですね。いわゆるこれも理想です。


「自分は自分っすから!」

って頭では分かっていても、ついつい他人との比較や親の影響でどうしてもその理想に至ることができない今の自分自身に対する自己嫌悪がふつふつと湧いて出てくるようなような状況です。


そんな時に私たちは、




こういう気持ちを抱くわけですよ。

たとえ、れっきとした大きな不満を含んでの「ごめんなさい」だとしても、本心では納得がいかない上部だけの「ごめんなさい」だとしても、モヤモヤしたままの「ごめんなさい」だとしても、


こういった気持ちのベースには、「こんな価値のない私でごめんなさい」という無価値感と、「あなたの期待に応えてあげられなくてごめんなさい」という加害者意識の罪悪感がある。


一見すると、逆っぽそうだけどね。
こんなイラストのような状態で「ごめんなさい」って思っている状況があるとすると、どちらかと言えばまだ被害者要素のほうがあり得そうじゃないですか。
別にハッキリとした加害者がいるわけではないけど、なんか自分だけが孤高の被害者みたいな気がする感と言いますか。


でもここで「こんな私って…」って自己嫌悪しているのはどうしてなんだろう。


相手の期待に応えてあげられない私
=私という存在は相手の喜びになっていない
=私は相手を傷つけている
=加害者意識の罪悪感

私たちはみんなこんなふうに感じていて、これがたまらなく嫌なんですよ。


※この「相手」=「私」でもあるよ。
(私の期待に応えてあげられない私=私は私の喜びになっていない!=私は私を傷つけている)


「本来なら私という存在は相手の喜びになれるはず!」っていう自分で自分に期待を寄せている前提があって、「えーん、なれなかったー!」と自分で思っているから自己嫌悪してる、っていうのが心の中で起きているんですね。


いま何回「自分」て言うたん。多かったー。
しかもこれ私めっちゃ自信家構文やん。


自分で自分の理想(私は相手の喜びになれるはず!)を達成できないから自己嫌悪しているっていうのは、ずいぶんと演出がかっていると思いませぬか…。


でもそれだけ、誰だって、自分の存在が「誰かの傷」にはなるなんて嫌だってことなんですよ。加害者になりたくないの、みんな。


だからよく心の世界では「一番許せないのは自分自身」って言われてるんですね。


一般的な加害者なる人たちの心の中でも(本人が自覚しているしていないに関わらず)、これと同じようなことがものすごく大きな波となって押し寄せてきているわけです。

「私は相手を傷つけている」っていう罪悪感は一緒。

だから被害者の心の中にも、加害者の心の中にも、大なり小なりそんな「許せない自分自身」がいるっていうことは変わらない事実なんだよね。それをみんなで知っておきたいよね。みんな傷ついてるんだからさ。って思ったんです。

※ちなみにトラウマと呼ばれるものも深層心理ではこれと同じことが言える



もしあなた自身が被害者なる人や加害者なる人になってしまったとき、そうじゃなくて頑張りたいのに頑張れない自分が嫌でしょうがなくて自己嫌悪してしまったとき、そんなときは今回のお話を思い出してほしいなあと思います。

大切なのは、

・こんなふうに「ごめんなさい」ってずっと懺悔している自分自身が心の奥底にいるってことを私たち自身が知っておくこと。

・そう簡単には許せるようなものでもないよね、っていう諦めのようなものも必要だってこと。

・こんな大きな罪悪感を、自分1人で抱え込まないこと。

なんじゃないかなあと感じました。


私は最近そういう罪悪感系の研究ばかりしていて、また今後もみなさんにシェアしていきたいと思います(切腹好きの末路)


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2 comments:

  1. あすか8月 24, 2024

    麻由子さん めっちゃ響きました!

    自分はできなかった。自分はダメだった。こんな自分ごめん😭の気持ち。ずーっとあります。しかもでっかい!

    それでこの記事を読み、最近ふと思い当たったことがぶわっとふくらみました😳

    それは。ジャイアンんでよくね??という気持ち🤝🏻

    わたしはわたし。So what?
    嫌だから嫌っ。それが??
    さて、わたしはおやつ何食べるかすごく悩んでるので!失敬!みたいな😂

    実は最近また(また!)男性の息の根を止めてしまって😅😆ものすごく胸が痛んでおりました🥺

    なんでわたしってこんな刺客みたいに美しく急所を貫いてしまうのだろう🥺パートナーシップなんか夢のまた夢だわ。と思っていました。

    けど相手の問題にやっぱり自分から巻き込まれているのかな。

    相手の気持ち、相手の感情に振り回されるのはやっぱり幼少期のトラウマだと思うのですが、ものすごい重石(罪悪感や無力感)をそこで抱えているんだとしたら余計に、その「相手の課題」については触らないのがわたしにとって大事なルールかも!って思い始めていました。

    これ以上重いものが持てない。というシンプルな理由で。

    相手の気持ちは相手のもの。こころゆくまで、自由に、落ち込むなり拗ねるなり悲しんでもらえば良いわけで。

    わたしはやっぱり、さっさと次の喜びを求めて駒を進めるべし💪🤝🏻🤗って思いました!!

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    返信
    1. わーあすかさん、コメントありがとうございました!😍

      「自分はダメだった。こんな自分でごめん。」って罪悪感、やっぱりありますよね。

      でも本当、あすかさんが書かれた通りだなあと思いました。「ジャイアンみ」があることを「問題視」しているのは他の誰でもない私たち自分自身なんですよね。さらに加えてそこに相手の課題まで背負っちゃって、余計に罪悪感を募らせ、相手も自分も一緒にずぶずぶとつぶれていくという…😂
      あすかさんが書いてくださったことがめちゃくちゃ分かりやすく、私のほうがより一層理解が深まりました(と同時に自分の課題も再認識しました)🤣

      相手の気持ち(課題)を尊重するって、要は「信頼」ですもんね!

      そういう意味でも「私は私。相手は相手。ジャイアンはジャイアン。」をモットーに私もあすかさんのように前向きを意識したいなあと思いました👊✨
      素敵な視点を教えてくださりありがとうございました!!💓

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