こんにちは!
カウンセラーの徳永麻由子です。
自殺で亡くした家族のことを、思い出したくないと思ってしまう。
大好きだったはずなのに。
今日はそんなお悩みで苦しんでいるあなたに向けて、お話をさせていただきたいと思います。
※「死別」「離別」「自殺・自死」などの言葉に抵抗のある方、または今の気分的に元気じゃないと感じる方は、ここから先はお控えくださいね。
ご相談内容
亡くなった人との向き合い方
ご相談者様:さのさん(引用元URL)
こんにちは。ご相談させてください。
私の姉は今から11年前、私が19歳の時に自死しました。
姉が亡くなってから今日までの間、泣き続けた日々があり、その後落ち着いたかと思えば怒りが湧いてきたり、無気力になったり、姉との記憶がなくなっていくのが怖くなったり、それでも頑張ろうと前向きに思えるようになったり、と本当にさまざまな感情の変化がありました。
葛藤しながらも自分なりに姉の死と向き合ってきたつもりです。
そして姉の死にも納得しているつもりです。
(私が私の意思で生きているように、姉は姉の決断をして人生を全うしたのだと)
なのに、どうしても姉の話をしようとすると泣きたい気持ちになるんです。
両親が懐かしそうに姉の話をすると、すごく嫌な気持ちになるんです。
姉のことが大好きはずなのに、聞きたくない、思い出したくないと思ってしまいます。
なんか辛いんです。
まだ気持ちが癒やされていないだけだと言われればそうなのかもしれないですが、
なんとなくまだ向き合えていない(納得できていない)感情がある気がしていて、それが何か分からなくてモヤモヤします。
自分自身とは向き合えるようになったけど、姉とはまだ向き合えていないのでは?とも感じています。
辛かった最後の数年間の気持ちではなくて、それよりも前の楽しかった頃の純粋な気持ちを思い出したい。
家族と昔の思い出話をして笑い合いたい。
これが私が望んでいる、私と姉の関係性の最終ゴールな気がしているのですが…
どうしたら悲しい記憶を浄化させて楽しかった頃の記憶を思い出せるようになるでしょうか?
ヒントをください。
私の姉は今から11年前、私が19歳の時に自死しました。
姉が亡くなってから今日までの間、泣き続けた日々があり、その後落ち着いたかと思えば怒りが湧いてきたり、無気力になったり、姉との記憶がなくなっていくのが怖くなったり、それでも頑張ろうと前向きに思えるようになったり、と本当にさまざまな感情の変化がありました。
葛藤しながらも自分なりに姉の死と向き合ってきたつもりです。
そして姉の死にも納得しているつもりです。
(私が私の意思で生きているように、姉は姉の決断をして人生を全うしたのだと)
なのに、どうしても姉の話をしようとすると泣きたい気持ちになるんです。
両親が懐かしそうに姉の話をすると、すごく嫌な気持ちになるんです。
姉のことが大好きはずなのに、聞きたくない、思い出したくないと思ってしまいます。
なんか辛いんです。
まだ気持ちが癒やされていないだけだと言われればそうなのかもしれないですが、
なんとなくまだ向き合えていない(納得できていない)感情がある気がしていて、それが何か分からなくてモヤモヤします。
自分自身とは向き合えるようになったけど、姉とはまだ向き合えていないのでは?とも感じています。
辛かった最後の数年間の気持ちではなくて、それよりも前の楽しかった頃の純粋な気持ちを思い出したい。
家族と昔の思い出話をして笑い合いたい。
これが私が望んでいる、私と姉の関係性の最終ゴールな気がしているのですが…
どうしたら悲しい記憶を浄化させて楽しかった頃の記憶を思い出せるようになるでしょうか?
ヒントをください。
死と向き合うということ
さのさん、ご相談ありがとうございます。
永遠のお別れ、死別というのは、遺された者にとっては大きな悲しみですよね。
たとえ死別の原因がどんなものであれ、です。
そんな悲しい出来事と向き合うということ。
大切な人の死と向き合うということ。
亡くなった人と向き合うということ。
それって具体的にはどういうことなんでしょうね?
人によって様々なのかなと思います。
さのさんの場合は、ご相談文にあった
「この何かよく分からないモヤモヤの正体を知ること」と「納得できていない感情が何なのかを知ること」で、大好きだったお姉さんの死を向き合うことができ、さらにはそれがお姉さんと向き合うことになると感じてらっしゃるのかな、と感じました。
いかがでしょうか?
さのさんの感覚と合ってるでしょうか?
もしそうだったならば、という仮定で今回お話しをさせていただきますね。
これはあくまで私の持論なのですが、自殺・自死の場合だけ、他の死別と異なる点があると私は思っています。
このポイントを理解することは、さのさんが向き合いたいと感じているものを考えていくうえで、とても大切なことなんじゃないかなと私は思います。
そこで、今日は以下の3つに焦点を絞ってお話をさせていただきますね。
・タブー(禁忌)に触れるということ
・大きな悲しみへの心の反応
・悲しみの理由は「⚫︎⚫︎してあげられないから」
軽い例え話も交えつつ、暗くなりすぎないように書いてますが、人によっては直接的すぎる表現も含まれます。
ご無理のない範囲で読み進めてみてくださいね。
自殺に対する心の前提
人の死の中で「自殺」「自死」というのは、社会的に「ある種のタブー」のような扱いを受けます。
ニュースで著名人が自殺した場合も、最近ではあまり報道もされなくなってしまいました。
報道に影響を受けて、視聴者が過剰にショックを受けすぎないように、もしくは同じ選択をとろうとしてしまう人をむやみに増やさないための対処です。
著名人ではない私たち一般人の間でも、自殺はあまり触れない方がいい話題のように感じちゃいます。
ご遺族自身がそう感じてる場合もあれば、ご遺族自身はそう感じてなくても周囲の人はあまり触れたくない話題なんじゃないだろうか?と感じてる場合もあります。
日本人は明治時代以降、西洋文化が入ってきたことで「死」というものを遠ざけがちになりました。
その中でも「自殺」は特にタブー視されるようになったのですが、実はこれは宗教的な意味合いが強いんです。
話が長くなっちゃうので、今回は詳細は省きますね。
一言で言うと「神様からいただいた命を自ら絶つことは許されない」という社会的風潮です。
私たち現代人も誰から教わったわけでもないのに、自殺に対するこの感覚は、心の深いところに根ざしています。
だからこそ、社会全体で「自殺」「自死」というのは「公の場では言いづらいこと」とか、「伏せなきゃいけないもの」と思ってしまう傾向になっちゃうんですね。
これはたとえ、自分自身がその方の自殺を受け入れられるようになったとしても、さらにはそのことを他人に言えるようになったとしても、なかなか消えない「心の前提」なんです。
たとえば、
私たちって何も服も着ずにすっぽんぽんの状態で外をうろついてはダメだって感じますよね?
急にすみません。
これは「基本的に、裸を人に見せることは恥ずかしいことだから」という心の前提があるからです。
そりゃそうです。
当然です。
でも、そうは感じない人が世界では少数ですがいらっしゃいます。
時々テレビのバラエティ番組でも取り上げられることがあります。
彼らはすっぽんぽんの状態で街を歩き、仕事をし、公園で堂々と昼寝をします。
それを何十年もです。
「見てるこっちが恥ずかしいわ!」とか「こっちの目のやり場が無いわ!」とか「子どもに悪影響だからやめてちょうだい!」って周りの人からはしょっちゅう苦情が寄せられるそうです。
私だったらちょっと遠くから眺めてみたいですね。
でも彼らは何十年もすっぽんぽんで過ごせるということは、そんな周りの白い目も大して気にしないものなんでしょうね(笑)
なぜなら彼らの中に「裸=恥ずかしいもの」という心の前提が無いからです。
タブーは感情も禁じてしまう
知り合いの人が自殺したということを誰かに言えるようになった時でさえも、「勇気を出して言ってみてる感」というのが実は強く、その度に心には抵抗感が芽生えています。
先の例で例えるなら、実は内心恥ずかしい気持ちがあるにも関わらず、勇気を出してすっぽんぽんで外を歩いているような状態です。
お姉さんの自殺を自分が受け入れられたとしても、「社会的にはあまり堂々と公に出していいことではない」という心の前提があるからこそ、「お姉さんの自殺に対して感じる自分の感情そのもの」も隠さないと!と意図せず感じてしまっているんじゃないかなと私は思います。
「そんな感情を感じてはダメだ」と、自分の心に抵抗したくなる感覚です。
この「心の前提」とか「抵抗したくなる感覚」というのは、頭でなんとなく認識できるものもありますが、ほとんどは認識できないほど心の奥深いところ(潜在意識とか無意識)で起きているお話だと思ってください。
頭では分かっていても、コントロールが効きにくいことなんですね。
だからこそ、
> 自分自身とは向き合えるようになったけど、姉とはまだ向き合えていないのでは?とも感じています。
さのさんはこういうことを感じちゃうのではないかなと思いました。
「なんか大切なことを忘れてるような…?」
「でもそれが何なのか分からないぞ?」」
タブーによる抵抗感で何らかの感情を無かったことにしようとしてる感覚です。
でも、なかなかここに気付かれる方も珍しいんじゃないでしょうか。
私はびっくりしました!
相当さのさんは今までもご自身と向き合ってこられたようなので、その成果かもしれませんし、もともと感覚の鋭い方なんでしょうね。
とても素晴らしい才能だと思いました。
死別の追体験
そしてもう一つ。
死別の追体験について考えたいと思います。
もう少し言うと、追体験の中身です。
大切な人との死別を経験した時、遺された私たちはついつい亡くなった方のことを思い返し「最期はどのような気持ちで亡くなったのだろう」と想いを馳せてしまいます。
つまり、大切な人を自殺・自死で亡くした場合、遺された人たちは「自ら死を選んでいったそのときの本人の心境」を、何度も、何度も、想像してしまうんです。
どれだけ絶望していったか。
どれだけ孤独だったか。
どれだけ怖かったか。
どれだけ痛かったか。
どれだけ苦しかったか。
本当だったら選択したくないはずの選択肢を自ら選んでいかざるを得なかった本人の過程を、遺された人たちは、まるで自分の体験のようにイメージを膨らませます。
想像の中で、何度も、何度も、死に向かう経験をしていくんです。
他の何か(誰か)よってもたらされる死ではなく、自ら下す死を。
遺された人たちはそうやって、イメージの中で自殺をしていくんです。
何度も、何度も。
死の追体験は(どんな死別でも)意図的にはっきりとイメージしようとしなくても、自然と心はそっちに持っていかれちゃいます。
私たちはそういう生き物なんです。
そして当然、この追体験は非常に辛いものです。
どんなに普段明るい人も、どんなに気丈な人も、大きなショックを受けます。
人によっては何ヶ月経っても、何年経っても、気分が回復しないことがよくあります。
気持ちが上がってきたと思っても、しばらく経ってから急にまた落ち込むということもあります。
自分が笑顔になることを無意識に禁じるようになったり、楽しいことをやろうと思わなくなったりもします。
そんな時、私たちは自分の心がダメになってしまわないよう、自然と防衛しようする仕組みが備わっているんですね。
人によって防衛の出方は様々ですが、要は「全部は受け止めないように」するんです。
自分の感情に蓋をして抑圧したり、自分の感情を麻痺させて感じにくくさせてみたり、思考である程度気持ちを切り替えさせてみたり、ポジティブに捉えることで直視しないでみたり、あえて思い出さないようにしたり、忘れてしまったり。
これも心の奥深いところで起きていることで、どうしようもないんですよね。
ただこういう反応が起きているかもしれないなあと知っておくことが大切なんです。
ここまできた自分自身を認められないのは心のパターン
ここまでお話しさせていただいた、
・自殺をタブー視してしまうため、当時感じていたはずのさのさんの感情も知らず知らずのうちに「感じないように」と抵抗が起きてしまっていること
・人は誰しも大きなショックがあると、全てを受け止めないようにシャットアウトする心の防衛反応があること
この2点を踏まると、
さのさんのご相談文の
> 葛藤しながらも自分なりに姉の死と向き合ってきたつもりです。
> そして姉の死にも納得しているつもりです。
> (私が私の意思で生きているように、姉は姉の決断をして人生を全うしたのだと)
> そして姉の死にも納得しているつもりです。
> (私が私の意思で生きているように、姉は姉の決断をして人生を全うしたのだと)
> なのに、どうしても姉の話をしようとすると泣きたい気持ちになるんです。
> 両親が懐かしそうに姉の話をすると、すごく嫌な気持ちになるんです。
> 姉のことが大好きはずなのに、聞きたくない、思い出したくないと思ってしまいます。
> なんか辛いんです。
> 両親が懐かしそうに姉の話をすると、すごく嫌な気持ちになるんです。
> 姉のことが大好きはずなのに、聞きたくない、思い出したくないと思ってしまいます。
> なんか辛いんです。
こういうことを感じてしまっても、ごくごく自然なことなんじゃないかなって思えてきませんか?
さのさんはここまで読まれてみて、いかがでしょうか?
ただ、ここで誤解しないでいただきたいのですが、さのさんがご自身で「つまり私はまだまだ向き合えていないのか」とか「全然私はまだまだなんだ」とは思わないでほしいんですね。
11年という長い歳月を経た今もこうしてお姉さんのことで涙が出そうになるということは、さのさんの心は11年間ずっとお姉さんの心と共にあったからです。
お姉ちゃんにはお姉ちゃんの決断があったからなんだと思えるようになったことも。
お姉ちゃんとの楽しい記憶を思い出して笑い合えるようになりたいと願っていることも。
記憶の中からお姉ちゃんの笑顔をすくいあげたいと望んでることも。
到底受け止めきれないほどの大きな悲しみを、さのさんはご自身のペースで受け止めてこられたからこその今なんですね。
そんなさのさんの11年間なのに、
まだ私は癒やされていないんだ。
まだ私は向き合えていないんだ。
まだまだだ。
私はまだまだダメなんだ。
どうしてこんなふうに感じちゃうんでしょうね?
恐らくこれがさのさんの心のパターンです。
「まだまだ」の正体
感情を封印してしまったあの時のさのさんも、
そして今のさのさんも、
たくさんの「ごめんなさい」があったんだと思います。
いろんな人への、いろんな形の、いろんな「ごめんなさい」。
だから、「私はまだまだだ」「私はまだダメなんだ」という想いがずーっと続いているのだと思います。
さのさんは何に対して、ずっと「ごめんなさい」って言ってるのだと感じますか?
いつからでしょうか?
誰にですか?
私たち人間というのは、
「⚫︎⚫︎してもらえない(もらえなかった)」
と感じたときに大きな悲しみを覚えやすいです。
でも実はこの状況は、
「⚫︎⚫︎してあげられない(あげられなかった)」と感じて悲しみを覚えている
というのが心理学的解釈です。
何かをしてあげたかったんだけれども、それをさせてもらえない状況が悲しいんです。
自分の思うように十分に何かをしてあげられなくて、それがとても辛いんです。
例えばお父さんがムカつくことをしてきた時も、旦那が私の気持ちを分かってくれずイライラする時も、彼が既読スルーで連絡をくれなくなった時も、お母さんが病気で余命宣告を受けた時も、大好きなお姉ちゃんが自殺してしまった時も。
彼らが私に何かをしてくれない(してくれなくなる)から、悲しいんじゃないんですね。
そんな状況の彼らに私が何かをしてあげられない(あげられなくなる)から、悲しいんです。
この悲しみがあまりに辛いので、
> 姉が亡くなってから今日までの間、泣き続けた日々があり、その後落ち着いたかと思えば怒りが湧いてきたり、無気力になったり、
「怒り」という感情で悲しみに蓋をしようとします。
無気力になったということは、相当なエネルギーを費やさないと蓋できないぐらいの悲しみがあったのかもしれません。
(また、こういう過去の辛い経験というのは、無意識に美化してしまう傾向が誰しも起こるため、その時に感じていたはずの怒りを実は感じにくく、だからこそその下にある感情にも気づきにくくなるという側面もあります)
さのさんが感じられている、「この何かよく分からないモヤモヤ」の先には、おそらくこうした「たくさんのごめんなさい」があるんだと思います。
「たくさんのごめんなさい」はさのさんが誰かに何かをしてあげたかったはずの「たくさんの愛情」です。
何をしてあげたかったんだろう?
ここまでの私のお話を読まれて、
いつごろを思い出しますか?
誰を思い浮かべますか?
何をしてあげたかったんでしょうか?
どんなふうに、してあげたかったですか?
もし何か思い出せそうな時は、以下の文章で当時のさのさんの気持ちを言い換えてみてください。
「本当は、⚫︎⚫︎を安心させてあげたかった」
「本当は、⚫︎⚫︎を助けてあげたかった」
「本当は、⚫︎⚫︎をもっと愛してあげたかった」
どんなふうに安心させたかったのかな?
どんなふうに助けてあげたかったのかな?
どんなふうにもっと愛してあげたかったかな?
そうやってご自身の中にあるたくさんの愛情を、ゆっくり見つめていってみてください。
自分自身の中にたくさんの愛情があるということを、どうか許してあげてください。
その愛情をあの時は十分にあげられなかったと感じてしまっている自分自身を、どうか許してあげてみてください。
完璧に許そうとしなくて大丈夫です。
ちょっとだけでもいいんです。
だってタブーに触れようとしているんですから。
でもその「ちょっと」が、とても偉大なんですよね。
十分にできなかったあの時の自分をちょっとでも許してあげること。
そうやって自分の中にある愛情をちょっとでも見つけてあげること。
そんな自分の愛情を、天国にいるお姉ちゃんに届けたかったな。
今、天国にいるお姉ちゃんに届けたら、お姉ちゃん何て言うかな。
お姉ちゃん、どんな反応するかな。
それを見て私はどう感じるかな。
そんなふうに、亡くなった人に想いを馳せること。
その亡くなった人に対して自分の感情をただただ感じること。
それが、亡くなった人と向き合う、ひいては自分自身と向き合うということなんじゃないかなと私は思っています。
どうかさのさんが大好きだったお姉さんとの楽しかった記憶を思い出せますように。
どうかさのさんがご家族と笑い合える日が来ますように。
みんなで笑い合っている笑顔の中に、天国のお姉さんも一緒になれますように。
私も心からお祈りしています。
7月はたくさんのカウンセリングお申し込みありがとうございました!
8月のスケジュールは7/25(火)になったらアップさせていただきますね。
もうしばらくお待ちくださいませ!
みなさんからのコメントを楽しみにしています♪
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