短気で気分屋なワタシのパートナーシップ論。

2024-01-12

恋人に恋愛感情を持てなくて申し訳ないと感じていると、「愛すること」にも「愛されること」にも条件が必要になる。


こんにちは!
心理カウンセラーの徳永麻由子です。

今日はお悩み相談サイトココロノマルシェにお寄せいただいたご相談に、回答したいと思います。

このお悩み相談に対する私からの回答。
もうね、想いがほとばしりすぎて、最近どんどん記事の文字数が激太り中でして。

4000文字→6000文字→7000文字→9000文字 NEW!

反省しています。
今後、いかに短く読みやすく書けるか、気をつけたいと思います(土下座)

途中、読み飛ばしてジャンプもできるようにリンクを設けていますので、ぜひ読んでくださると嬉しいです。



ご相談内容

 ポイント 

  • 今まで何人か付き合ったことはあるが、恋愛対象として人を好きになったことがなく、その申し訳なさから相手に尽くしていた。 
  • 最近、愛情を誰かに注ぎたい!という気持ちが強まり、初めて自分の意思で婚活を再開した。
  • 今まで男性に対して我慢やスルーできてたことができなくなってきたし、「私が愛情を注ぎたい人じゃなきゃ嫌!」だと強く感じている。
  • 自分の今の状態ってどうなんでしょうか?この方向性でいいのでしょうか?


ご相談内容の全文はこちら
私の愛情を誰かに注ぎたい欲求との付き合い方
ご相談者様:鮭とばさん(引用元URL

今まで恋愛対象として人を好きになったことがありません。何人かお付き合いしましたが、昔から「好きになれない=愛情を持てない」自分に強い罪悪感を持っておりました。また罪悪感の代償として、相手に尽くすタイプ(でも本人は慢性飢餓状態)でした。

ところが2ヶ月前に、私の中にどうしようもなく深く強く大きい愛情がある事を体感。
そこから、この愛情を誰かに注ぎたい!という気持ちが強まり、なおかつ結婚して愛情を注いでいるイメージが浮かび、初めて自分の意思で婚活(初の結婚相談所)を再開。
以前と大きく異なるのは、「男性目線を意識しつつも、私らしさを軸に表現」「この程度の人ならOKしてくれるだろう、ではなく私が抱きたいと思えるか」で動いている事。罪悪感もなく、むしろ調子に乗ってる位堂々としてる自分がいます。

そうした中で、これまでなら付き合う男性に対し我慢やスルーできてたことが、できなくなってきました。
本来の私を知れて嬉しい一方、「私の狩場はここなのか?」「私が愛情を注ぎたい人じゃなきゃ嫌!に固執してないか?」「なに高嶺の花ぶってんの?」「我儘言ってたら結婚出来なくね?」といった思いも出てきてます。

私が望むのは、結婚してパートナーとの間に深い愛情を築くこと。抱きたい相手かどうかも、パートナーとして私が抱きたくない相手に愛情を注ぐのは嫌、という理由です。

自分でも制御できない程の愛情に気づき、とりあえずやれる事からやってみる!で動いてますが今の方向性でいいのか?、また今ある不安との付き合い方や、客観的に自分の状態はどうなっているのか、心のプロである皆様の忌憚ないご意見を頂けるとめちゃくちゃ嬉しいです!


鮭とばさん、ご相談ありがとうございます。
出会った当初は私の好みのタイプではなかった男性と、今では仲良し夫婦になった心理カウンセラーの徳永麻由子と申します。

私のこの自己紹介で、鮭とばさんが嫌なお気持ちになってないといいなぁと思います。
鮭とばさんの活動方針に異を唱えたいわけではないので、どうかご安心くださいね。

「パートナーはこういう人がいい!」「あんな奴は嫌!」っていう想いはとても大切だと私も思うんです。
だって「こだわり」って誰でもありますしね。


ただこの「こだわり」によく似ているんだけど実は全く違うものに「執着」というのがあるんです。


こだわりっていうのは、いろんな選択肢がある中で「これがいい!」って指をさせる状態。
他のもいいよね、わかるよ~。でもこれがいいの。
そんな愛着を持っているもののことです。

それに対して執着というのは、「これしかだめ」と他の選択肢を持ち合わせていない状態です。
両手でがっちり握りしめているようなイメージ。
それ以外は視界に入れないし、断固拒否!これじゃないと嫌なんです!って感じです。


言葉ではこんなふうに説明をしましたが、じゃあ普段の生活でこれこだわりなのか?執着なのか?をはっきりと区別させるのってなかなか難しいんですよね。
なのでごちゃごちゃになっているのが普通だと思います。

そしてこれ、「こだわりが良くて、執着は一切ダメですよー!」っていう訳ではないんです。
人間ですから、そんな白黒つけられるような単純なものでもないですしね!


ただ、鮭とばさんの今の「婚活の動機になっている想い」に執着の要素がもし含まれているようなら、鮭とばさんらしさというものが徐々に発揮できなくなってくるんですよね。


そしてだんだんしんどくなってくるので、モチベーションが続かなくなってきたり、逆にリバウンドのように「なんか思うようにいかない!」とか「なんかしんどい!やっぱ活動したくないー!」って感じてきちゃったりもします。

だから、できればそのあたりは一度整理してみませんか?っていうのが私からの提案です。


鮭とばさんのパートナーに対しての想いって、こだわりでしょうか?執着でしょうか?
鮭とばさんの愛情の注ぎ方って、こだわりなんでしょうか?それとも執着なんでしょうか?


このあたりの違いを鮭とばさんが自分自身で理解できるようになることで、

自分でも制御できない程の愛情に気づき、とりあえずやれる事からやってみる!で動いてますが今の方向性でいいのか?、また今ある不安との付き合い方や、客観的に自分の状態はどうなっているのか、

このご質問に対してのご自身なりの納得感というものを得られやすいんじゃないかなぁと私は感じました。


だって今のご自身の状態や行動方針が、自分に合ってるな~~って感じられたらなんかすっきりしませんか?
自分らしいよな~~って感じながら婚活できた方が、とっても楽しいし軽やかだと思いませんか?

なので今回は、鮭とばさんの婚活を後押しできるような視点で解説したいなと思います。


私が大切だと思ったポイントは3つ。
・それって自己満足できてる?
・でも自己完結させてない?
・「私が愛していないのに、愛されるなんて申し訳ない」って思ってない?
です。

ぜひご参考になさってください。


3つ目のポイントが深層心理について触れていますので、ここから読みたい場合は以下のリンクをクリックしてくださいね。




自己満足できる愛し方なのか?(自己満足できるとしたら満足度どのぐらいなのか?)


早速ですが、

以前と大きく異なるのは、「男性目線を意識しつつも、私らしさを軸に表現」「この程度の人ならOKしてくれるだろう、ではなく私が抱きたいと思えるか」で動いている事。罪悪感もなく、むしろ調子に乗ってる位堂々としてる自分がいます。

これって、とても素敵だなぁと感じたんです。
以前と比べて自分軸で動けているっていうのも、素晴らしい変化ですよね。

文面での推測にはなりますが、恐らく鮭とばさんご自身が、今までよりもご自分を大切に扱えるようになったんじゃないでしょうか。
相当ご自身の感情と向き合われたり、心の世界についてもいろいろと勉強されてきたのでしょうか。
とても聡明な方で、センス(直感)の良さを感じました。


だからこそ、この出来事がとても気になります。

ところが2ヶ月前に、私の中にどうしようもなく深く強く大きい愛情がある事を体感。
そこから、この愛情を誰かに注ぎたい!という気持ちが強まり、

何かあったんでしょうか?
あったとしたら、どんな出来事だったんでしょうか?
もしかしたらそれ以前からも、いろいろと頑張ってこられたことってあったんでしょうか?


で、どうして私が気になるかというとですね。

昔から「好きになれない=愛情を持てない」自分に強い罪悪感を持っておりました。また罪悪感の代償として、相手に尽くすタイプ(でも本人は慢性飢餓状態)でした。

以前はこの状態だったということですよね。
相手にはいろいろ尽くすけど、自分自身はなんだか満たされていないような、空虚感のようなって感じだったんでしょうか。

それが、

そこから、この愛情を誰かに注ぎたい!という気持ちが強まり

こんなふうに変化が起きたという、まさに大変革が起きたってことですよね。


そこで、鮭とばさんにお聞きしたいのですが、
(今回は鮭とばさんにお聞きしたいことがたくさんあるので疑問符が大量発生です)


鮭とばさんにとっての「愛する」っていうのは、具体的にどんなことを指すんでしょうか?
「深く愛情を注ぐ」って例えばどういう状態をイメージされますか?

お相手がパートナーだった場合は、どういう行為でしょうか?
逆にお相手がパートナーじゃなかった場合は、その愛し方って変わってきますか?
変わってくるとしたら、どう変わるんでしょうか?

ちなみに鮭とばさんがお相手に愛情を注いだ場合、相手が喜んでくれなかったらどうしますか?
鮭とばさんの期待するような反応が返ってこなかった場合でも、愛し続けられそうですか?
続けられる(続けられない)としたら、なぜでしょうか?

鮭とばさんはどんな状態になったら「満たされる」と感じるんでしょうか?



私たちって、どうしても無茶をしがちです。
どれだけ自分がやりたいことでも、好きで続けていたことでも、ちょっとずつの我慢や無理っていうのを積み重ねていきがちなんですよね。

好きだからこそ。

私は夫のシゲルさんのことが大好きなので、彼を喜ばせてあげたくてたまらないんですね。

好きだからこそ、です。
(恥ずかしい)


で、シゲルさんはあまり「あれやりたい。これやりたい。」ということを自分からは言わないタイプの男性だったんです。
だから夫婦で外食するときがあると、私は「シゲルさんに食べたいものを食べて、喜んでほしい!」と心から想っててですね。

「カレーな気分?とんかつな気分?あ、ラーメンもいいね。私の今日の胃袋は中華料理以外なら何でも行けます!」と彼に聞いて、彼の反応を見てお店を決めるっていうことを数年続けたんです。

この時、私が気をつけていたのは「自分の気持ちに嘘をつかない」ってこと。

私がラーメン食べたくない時は、ちゃんとそれを言うとか。
私は今日はこれが食べたい!っていうものがある時は、ちゃんとそれも言うとか。

要は、自分軸を大切にしつつ、でも夫のシゲルさんも喜ばせたいというミッションをこなそうとしていたんです。

まあその裏では「そんな理解者な妻を持って、お前はせいぜい嬉しかろう!ほれほれ、私を褒め称えんかい」という承認欲求も働いていました(今現在もです)



で、最近です。


私、無性にパンケーキとかパンが食べたいんです。


その欲求を満たすため、コンビニやパン屋さんで買ったこともあります。
でも、なぜか満足しないんですよ。
徳永の満足度指数で言うと、35点/100点中。

ひとりでパンケーキ屋さんに行ったこともあります。
でも、なぜかそんなに満足しないんですよ。
満足度指数は、45点/100点中。


コンビニのやつじゃだめだ…!
ひとりで楽しんでもつまんない…!!!
美味しいコーヒーも飲める、ゆったりくつろげるソファ席とかに座って2人で食べたい!!!!


私は気付いたんですね。
無意識の我慢ってヤツを。


このパンケーキ屋さんとかおしゃれなパン屋さんを、シゲルさんと食べられる料理の候補の中から、除外していたんです。
私が。

思いかえしてみると、候補として頭をよぎらなかった訳ではないと思うんです。
たぶん1回か2回ぐらいは、彼に提案してみたことはある(気がします)。

でも結局、他候補のお店に行ったので、私の中では「まいっか(残念)」ともならず、きれいな水洗トイレのごとく シャァァァァァッ! ときれいさっぱり流していました。
おかげで記憶にもあまり残っていません。

でも、4~5年経って湧き上がる欲求不満。
目下私はこの課題に直面中で、いまだに解決していません(笑)



鮭とばさんもとても愛情深い方なんだと思うんです。
誰かを愛したいっていう思いやりのある方なんだと思うんです。

ただ、そういう方ほど、無意識にこうした我慢とか無理を重ねちゃってるっていうこともあるんですね。
好きだからこそ。

そしてパートナーが喜んでくれると、その我慢や無理っていうもまた、報われちゃんですよね。
好きだからこそね。


報われるんだけど、やっぱり「もともと我慢してる」訳なので、これって蓄積していきます。
隠れ不満として。


鮭とばさんにとっての「愛する」という行為。
それをたとえお相手の方が喜ばなかったとしても、それでも鮭とばさんは続けられますか?
それって鮭とばさんの満足度指数は100点満点中何点になるでしょうか?
100%自己満足できなかったとしたら、それなのに頑張っているご自身のことを褒め称えられてますか?


これはぜひ意識し続けてみてほしいなって感じました。
この自問自答を続けることで、「その行為が本当に自分らしいのかどうか」を判断する上でとても役に立つからです。



自己完結させた愛し方になってないか?(相手の受け取りやすい愛情表現になっているか?)


この鮭とばさんにとっての「愛する」という行為。
これを具体的に考えていくために、「愛し方」のお話をさせてください。


私たちは自分がされて嬉しいように、同じ方法で相手にお返しする傾向が強いんですね。


身体の調子が良くない時に周りに心配されると嬉しいなって感じる人は、相手の身体の調子が悪い時も、つい心配してあげたくなっちゃいます。
プレゼントをもらえると嬉しいなって感じる人は、相手へもプレゼント(たとえ変な物やセンスのない物でも)を贈りたくなります。

それが自分にとっては愛情表現だから、同じやり方で相手への愛情を示そうとするからです。


逆を言えば、心配されると嬉しいなって感じる人は、相手から心配してもらえないと「自分は大切にされてないんだ」って感じます。
プレゼントをもらえると嬉しいなって感じる人は、相手から何もプレゼントしてもらえないと「自分は愛されてないんだ」って感じちゃいます。

ただ、それが「どんな行為」かは人それぞれで、種類もたくさんあります。


言葉をかける、手紙を書く、お土産を買う、プレゼントをする、サプライズを計画する、手をつなぐ、ハグ、キス、セックス、気遣う、心配する、信頼(放置)する、自由にする、一緒の空間にいる、共感する、アドバイスをする、予定表を共有する、今日あった出来事をシェアする、未来の計画を立てる、家族のことを話す、自分のことを話す、相手の話を聞く、家事をする、身の回りの手伝い等

これはどれも愛情表現です。
ざっとあげましたが、これでもまだ一部なんです。

一般的に女性(特に母親や愛情深い人)はついつい相手を心配しちゃいます。
寒くないか?暑くないか?ご飯は足りてるか?リポビタンDはまだあるから我慢せんで飲みんしゃいと、過干渉なほどに心配してくるのは、愛情表現でもあるんですね。
(私の祖母はよくリポDをケース買いしてくれていて、会いに行く度に私を溺死させるつもりかってぐらい飲ませてきました)


表現方法は人それぞれで。
しかも一つだけということはなく、いくつかを併せ持つことが多いです。
それだけ私たちは愛情表現の方法をたくさん持っているんですね。


鮭とばさんにとっての愛情表現ってどんなものがあるんでしょうか?
また、鮭とばさんが「この人がいい!」って感じるお相手の愛情表現は、どんなものでしょうか?


日本語を母国語として話す人は、日本語が一番話しやすいし、聞き取りやすいです。
聞き取りやすいということは、受け取りやすいということです。

でも相手の母国語が自分と同じ言語とは限りません。


パートナーシップは国際結婚のようなもの。
地球人と宇宙人が結婚するようなもの。

だとしたら、相手の母国語は何だろう?どんな言語なら相手は理解してくれやすいんだろう?

そんなふうに、自分から「注ぎたい愛情表現」と、相手が「受け取りやすい愛情表現」が同じなのか、はたまた違うのか、っていうことを意識してみてほしいんですね。


愛するという行為は、「相手の喜ぶことを与え、それ自体が自分の喜びである」という状態だからです。


だって鮭とばさんが願うのは、

私が望むのは、結婚してパートナーとの間に深い愛情を築くこと。

ですよね。
とても素敵な未来です。

お互いに深い愛情を築くということは、お互いが受け取りやすいように愛情を向ける必要がありますよね。

鮭とばさんがどんなに深い愛情を注ぎたくても、パートナーとなるお相手が受け取りやすい方法でないと、片側通行になっちゃいます。


しかもお相手の方が、自分の母国語がどんなものかについて理解をしていない可能性もあります。
そんな時は鮭とばさんがお相手のことを観察しつつコミュニケーションをとって、さらに反応を見つつ、これか?いやこっちか?という試行錯誤を重ねていくことになるんじゃないかなと思います。


お互いの努力のもと、一緒に努力していければ理想的ではありますが、実のところやる気にみなぎっていて、愛情深くて頭のいい鮭とばさんがリーダーシップをとっていくことになるとお見受けします。
(おそらく今もごりごりリーダーシップをとられているんじゃないかな)


だからこそ、
鮭とばさんにとって、どんな愛情表現をしたいのか?
逆にお相手はどういう愛情表現をしてほしがっているのか?

ぜひそんな視点でお相手を意識していって、ますます愛情豊かなリーダーシップを発揮していただきたいなと感じました。



ここまで、
・自己満足できる愛し方なのか?(自己満足できるとしたら満足度どのぐらいなのか?)
・自己完結させた愛し方になってないか?(相手の受け取りやすい愛情表現になっているか?)
についてお話しました。

この2点を意識するとき、理論とか証拠といったものは不要です。
全く、不要です。


鮭とばさんが本当にわくわくするか?
鮭とばさんが「はぁ~~幸せ~~~」って感じるかどうか?
わくわくするならどのぐらいわくわく?
幸せを感じるならどのぐらい幸せ?
その幸せって常に同じ感じ方?
それとも持続力無くて上がり下がりする感じ?

そんな感覚・体感で捉えていってほしいんですね。


そして鮭とばさんが「これが私の愛し方だ」とか「こうされたら嬉しい」って1度強く意識できたとしても、それがまた変わることもあるんだよってことも知っておいてあげてください。

生き物は絶えず変化することで、生きようとします。

前は好きだったものが、今では嫌いになるってことだってあります。
前は嫌いだったけど、今は癖になっちゃうぐらい好きってこともあります。

鮭とばさんの感情も、感じ方も、考えや思想も、モチベーションだって、日々変化しているはずなんですね。


なので、私が「これを意識してみてくださいね」とお伝えしたポイントは、「1度決めたらこう!」ではなく、「今日はどうかな?」「最近は今まで比べてどうかな?」「また将来変わるかもしれないけど、今はこっちがいいな」というふうに、ご自身の変化を見守るように観察してあげていってほしいんです。


これは1つのものに執着せず、その中でも自分なりのこだわりを見つけていくために、とても大切なポイントです。
とても大切な心の在り方です。

ぜひ覚えておいてくださいね。



「私が深く愛していないのに、こんなに愛されるなんて申し訳ない」って感じていませんか?


ここから先は、今までの2つのお話とちょっと視点が異なります。

今までのお話と矛盾するように感じることもあるかもしれませんが、もう一歩深く踏み込んでみますね。


鮭とばさんって「1度決めたらこう!」って思うところ、ありませんか?

実は、このあたりも気になるんです。

この程度の人ならOKしてくれるだろう、ではなく私が抱きたいと思えるか
パートナーとして私が抱きたくない相手に愛情を注ぐのは嫌

「抱かれたい相手」ではなく「抱きたい相手」なのはどうしてでしょうか?
何か理由があるのでしょうか?

どうして抱きたい相手以外の方に愛情を注ぐのは嫌なんでしょうか?
どんな感覚になるんでしょうか?
ご自身を愛させる人も限定したいってことなのでしょうか?
この人に好かれたら気持ち悪い!とか感じるんでしょうか?
何か過去にそう思うきっかけになった出来事があったんでしょうか?

そうした中で、これまでなら付き合う男性に対し我慢やスルーできてたことが、できなくなってきました。

これって例えばどういうことが我慢できなくなってきたんでしょうか?
今まではどんなことをスルーできてたんでしょうか?



以前よりも自分軸で動けるようになってくると、「私はこうしたい!」とか「こうされるのはすごく嫌!」という感覚が研ぎ澄まされてくるので、その感覚に素直に従えるようになります。
行動が伴うんです。

でも、それってなんでなんだろう?っていう視点で自分を観察していないと、本当に大切にしたいものから徐々にフォーカスがずれていきます。
私もいまだにしょっちゅうこの罠にハマっては、自己嫌悪の嵐になることがあります(笑)


鮭とばさんの場合は、
「愛さないといけない」って思ってませんか?

今まで恋愛対象として人を好きになったことがありません。何人かお付き合いしましたが、昔から「好きになれない=愛情を持てない」自分に強い罪悪感を持っておりました。また罪悪感の代償として、相手に尽くすタイプ(でも本人は慢性飢餓状態)でした。

元カレさんたちへの罪悪感って、今はどうでしょうか?

この罪悪感、とっても大きかったんじゃないのかなぁって思うんです。


あの時、本当はこんなふうに愛してあげたかった。
あの時、本当は恋愛感情を持ててあげられたらよかった。
あの時、もっと喜んであげたらよかった。
あの時、もっとありがとうって伝えたかった。
あの時、私本当は幸せだったよって言えたらよかった。

だから、次出会う人にはそれを全部してあげたい。
いっぱい愛したい。
たくさん愛情を注ぎたい。
今までの分も全部ひっくるめて人を愛したい。


こんなふうに心の底で決意してしまうのも無理ないと思うんです。

だから今、深く強く大きい愛情を誰かに注ぎたくなっているということも考えられるんですね。


元カレさんたちに愛されて、そして本当は鮭とばさんも元カレさんたちを愛してあげたかったんですよね。

そんな循環を作ってあげたかったんですよね。

それができなかったのは自分がいけないんだって今も感じていませんか?


だからこの鮭とばさんの想いが報われる状況を求めたくなります。
この人がいい!この人なら!この人じゃなきゃ!って最適な相手を求めますし、あの時自分のせいで果たせなかった「愛する」というミッションをやり遂げようとします。
リベンジを果たそうとするんですね。

ここで大切なポイントというのは、このリベンジという行動の起因(きっかけ)は、過去の元カレさんたちから来ているっていうことです。
過去への自分の感情に執着しているかもしれないんです。


今鮭とばさんは婚活をされていて、いろんなお相手と出会われていると思います。
その目の前にいる出会ったばかりのはずのお相手への想い+(プラス)ちょっと違うものが被さっているかもしれないんですね。



そして鮭とばさんはこう思うんです。

「ああ、この人がこれだけ喜んでくれたのは、私がこれだけ深く愛してるからだ」って。
納得するし、安心するんです。


逆にその人以外に対して、「私が深く愛していないのに、こんなに愛されるなんて申し訳ない」って思っちゃうんです。
なんだか悪いことしてる気分になっちゃいます。


違うんです。


鮭とばさんは何もしなくても愛されるんです。

現に、愛されてるはずですし、愛されていたはずです。


元カレさんたちもそうだったんじゃないでしょうか?


鮭とばさんが彼らに愛情を持ってあげられなかったとしても、彼らは鮭とばさんを愛していたんじゃないでしょうか?

鮭とばさんが一生懸命彼らに尽くしたこと以外でも、彼らが喜んでいたことってあったんじゃないでしょうか?


先ほど、愛情表現の方法もたくさんありますよっていうお話をしました。
鮭とばさんは「あの時の私はこう思えなかったから、元カレを愛せていなかった」「あの時元カレにこう感じていなかったから、私は愛情を持てていなかったんだ」「あの時あんなふうに行動してあげられなかったから、私は元カレを愛していなかったんだ」って感じていませんか?

自分の元カレさんたちに対する愛情の在り方にも、執着しているってことはないでしょうか?


愛するならこうでないと!
愛する人にはこうできないと!

こうされないってことは愛されてないんだ。
こう言われるってことは愛されてないんだ。


愛し方に執着してしまうと、愛することにも、愛されることにも、いろんな条件がつきまとうようになるんじゃないかなって思ったんです。


いろんな愛情の形があるんです。

「こんなことされて、それなりに嬉しかった」とか「なんだかんだ付き合ってるときは安心感があった」とか。

それを認めるのってなかなか勇気が出ないかもしれません。
愛してあげられなかった自分を許すことに抵抗があるからです。

でも、確かにありましたよね?


もし、今現在の鮭とばさんが、あの当時の元カレさんたちとまだ罪悪感でつながっているのであれば、そこを愛情に変えていきませんか?


鮭とばさんにとって理想の形ではなかったかもしれない。
後悔がたくさんあるかもしれない。
当時の自分自身を許したくないかもしれない。
数えきれないほどの「ごめんなさい」があるかもしれない。

でも、「あの時の私を愛してくれてありがとう」と感謝の気持ち、ゼロじゃないですよね?


あの時向けられた愛情に対して、同じような愛情を返せなかったからといって、「そこに私は愛情を持ってあげられなかった」なんて思わなくてもいいんです。

今だから思える「ありがとう」ってあると思うんです。
それって間違いなく愛情です。


心の世界に時効は存在しません。

あの時の自分自身ができなかったのも、しょうがない。
今の自分だからこそ思える感謝もあるはずです。

鮭とばさんの中にも愛情はあったはずです。
そして、鮭とばさんは何もしなくても愛されていたはずです。


是非、そんな視点で過去の自分自身や元カレさんたちに想いを馳せてみてあげてください。

大切な人と罪悪感でつながる必要はありません。
自分自身とも罪悪感でつながる必要もありません。

過去のことも、今からゆっくり愛に変えていきましょう。

そうすると、これからの鮭とばさんのパートナーシップはより一層充実したものになると思います。
新しく出会った人と、本当はどう向き合っていきたいのか?というところがよりはっきり見えてくるようになると思います。


何かしないと愛されない。
愛さないと愛されない。
そんなルールの無い世界です。


そこでようやく、「私らしさ」とか「こだわり」というのが出てくるんですね。

私らしい愛し方
私らしい愛され方
私らしいつながり方

尽くしてもいいし尽くさなくてもいい。
頑張ってもいいし頑張らなくてもいい。
でもこんなのがいいな~。


短期決戦ではなく、今日お伝えした3つの視点でご自身と長く付き合っていってほしいなと思います。
心から応援しています!


今回の記事で何かご質問やご感想などがあれば、ぜひお送りください〜!



1月もカウンセリングを募集中です♪
今月はお申し込みが少ないので狙い目ですよ!笑


みなさんからのコメントを楽しみにしています♪
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必ずお返事をさせていただいておりますので、ご感想やお気づきのことなどありましたら、お気軽にお寄せください。



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