短気で気分屋なワタシのパートナーシップ論。

2024-01-23

人と人の板挟みになることが多いあなたは、自分の思考で自分を板挟みにしていない?


こんにちは!
心理カウンセラーの徳永麻由子です。

突然ですが、
1羽の鳥を思い浮かべてみてください。


鳥は羽を大きく広げると、空を自由自在に飛べますよね。

その鳥が、魚をとろうとして、海にバシャーンと潜りました。
鳥もちょっとは泳げる。

で、海の中でそのまま泳いで魚を追いかけ始めようとしちゃったとします。

でも鳥には羽がありますよね。
その羽が邪魔で何十メートルもずっとは泳げないし、羽にかかる水の抵抗もすごい。

そのうち魚はどんどん逃げていく。

そしてその鳥はこう嘆くんです。


「羽なんていらない!
羽のせいで泳げなくて、しんどいことばっかり!!

こんな人生苦しいだけじゃないか!!!」


もし神様がこの鳥を見たら、なんて声をかけると思いますか?



今回のご相談

 ポイント 

  • 人間関係の板挟みになりやすく、新しい人間関係ができても、なぜか友達同士が仲違いする。 
  • 板挟みが嫌になってコミュニティを離れるが、仲違いした本人たちは楽しんでいるようで、憎しみがこみあげてくる。
  • 友人同士の人間関係が壊れると、恋愛関係までダメになる。
  • もう自分の気持ちが持ちません。途方にくれてます。


ご相談内容の全文はこちら
自分の知らないところで人間関係が崩れる
ご相談者様:めんつゆさん(引用元URL

小さい頃から、人間関係の板挟みになりやすく、新しい人間関係ができても、なぜか、友達同士が仲違いします。

私自身、
・嫁姑仲が悪く、ピリピリした家庭で育つ(家庭の中でも板挟み)
・大人の顔色を伺いながら育った、大人にとっての都合のいい子ども
・自分の人生を生きられていない感じがする
・家族の不和は誰にも相談できなかった
・ずっと母の愚痴聞き役
・いじめ、家族不和を周りに相談できず、ずっと抱え込む

という、家庭環境で育ってきたのですが、友達同士でもこういうことが起きるため、うんざりしているのです。うまく、立ち回ることができればいいのですが、私自身、板挟みが嫌になると、苦しくなってそのコミュニティから離れる、ということを繰り返しています。板挟み状態の時は、どちらの味方にもなりません。私が離れたコミュニティは仲直りはせずともそれぞれで楽しんでいるようで、私の楽しい平和な世界は壊したくせに、なんで…?と憎しみさえうまれます。(家族に対しても思ってました。)私は大事な人を守るのに、私を守ってくれる人は誰1人としていません。そして、ひとりぼっちになります。
友人同士の人間関係が壊れると、なぜか、恋愛関係までダメになりました。(相手はロックマンみたいでした。)

母との癒着も、自己肯定感、恋愛のトラウマも乗り越えてきたと思ってました。たのしいことでたくさんたくさん満たして、やっと楽しく生きられるって思ったらこれです。もう自分の気持ちが持ちません。
こんな才能いらないです。途方にくれてます。助けてください。


めんつゆさん、はじめまして。
同じく、小中といじめにあっても誰にも相談できなかった心理カウンセラーの徳永麻由子と申します。

自分の悩みを家族に相談するとか、しかも「いじめられてる」って家族に打ち明けるのって難しく感じちゃいますよね。わかるーーー。

もとから家庭内がぐちゃぐちゃだったなら、そりゃあさらに難しい!


こういう経験をした人って、本当に手に負えなくなるまで、「助けて」って人に言えなくなりがち。
めんつゆさんはどうでしょうか?

私は今もそういうところがあって、問題を大問題に育て上げるのが得意です。


こんな才能いらないです。途方にくれてます。

こうやって途方にくれるまで、我慢されてきたんじゃないかなあ。
そりゃあもう何を我慢してきたのかって、それが分からなくなるぐらいいろいろと。


そしてこの文章って、

「ほんとうは相手の顔色なんてうかがいたくないのに、一瞬でうかがえちゃうんです」

とか

「ほんとうは空気だって読みたくないのに、秒で読んじゃうんです」

っていう意味かな?って思ったんですが、合ってますでしょうか。
合ってたらいいな!


幼少期からずっと大人たちの顔色をうかがってきた人っていうのは、相手の気持ちを先回りして読むのが得意になりがちなんですよね。
心理学的には、「もともと生まれながらに得意」という見方もします。

「あ、機嫌悪そうだな」とか「何も言ってこないけど、きっと私にこうしてほしんだろうな」とかつい分かっちゃう。

ちょっとした仕草や表情筋、言葉尻やちょっとした声のトーンとか。
ありとあらゆる非言語情報をキャッチしては、ずーーっと頭の中で「相手は今どんな状況だ?」「この場で何を求められている?」「私がこの状況でとるべき行動は?」という問いに対しての最適解を計算しちゃう。

めんつゆさんもそういうふうに考えちゃうところ、ありませんか?


このわたしからの問いかけに対して「いやこの程度のこと誰でもできるでしょ」とか「これぐらい普通でしょ」って感じてません?

なんなら、「えーすごいじゃーん!」って褒められようもんなら「は?(怒り)」って感じません?

「あーはいはい、またあなたも他の人と同じこと言ってくるんですか。もうそれは聞き飽きました。もう少し他に役立つこと教えてくれませんかね」って中指を突き立てたくなってませんか?


あ、ごめんなさい!
まだページ閉じないで!


なんで私がこう聞いたかっていうと、

自分のこの能力(性格・傾向)のせいでしんどい目にしかあわない!やめたいのに!ついついやっちゃう!!っていうのは、それがあなたにとって自然だから。

それが「良い」か「悪い」かは、後付けの解釈に過ぎなくてですね。
しかもその解釈は人・環境・時代によって違ってくる。


それが良いことなのか悪いことなのかは、また別のお話。
一旦切り分けて考えてみましょう。


わたしたちがいくら頭(顕在意識)では、「こんな特技いらん!」「ほしくない!」「全然いいことない!」って思っていても、しょうがないことが山ほどあるんです。
それがその人その人の自然な状態だから。
自然には敵わないよね!


これが私の自然な状態なんだよねってことに気付かないと、わたしたちが気付くまで、神様は何回も何回もそのシチュエーションを作り出して、わたしたちに教えようとしてくるんですよ。


例えば、それが人間関係のトラブルとして現れたり、心身の怪我や病気として出たり。
ありとあらゆる案件を作り出しては、私たちに直面させようとします。

それでも受け取らない!そんなのやだ!ってわたしたちが受け取り拒否をしていると、どうなっちゃうと思いますか?


だんだん

自分の人生を生きられていない感じがする

こう感じるようになるんです。



だってそうですよね。
もともと鳥は何もしなくても、大空を自由に飛び回ることができるのに。
「羽が邪魔ァアァァッ!!!!」って海の中で苦しい想いをしちゃってるわけですから。


この神様の声っていうのは、心理学的には自分自身の声。

その自分の声を否定し続けるってことは、自分で自分の人生を否定しているっていうことと同じ。


じゃあ、なんでそんな本来自然であるはずの状態をめんつゆさんが否定したくなっているのか?


そのあたりを整理していくと、今目の前にある問題の見え方が少し変わってくるんじゃないかなぁと思います。

めんつゆさんはもともとトラウマも乗り越えられるほど、力強さと聡明さを兼ね備えた方。
これって本当にすごいこと!

本来、人を和ませたり、人に「つい寛いじゃうわ~」って感じさせる雰囲気を出す方なんじゃないかなあ。

だからそんな本来のめんつゆさんの状態に戻りませんか?さらには、自分の人生を歩んでいるぞっていう感覚を少しずつでも取り戻していきませんか?っていうのが私からのご提案です。

そのために今回、私が大切だと思ったポイントは4つ。

・誰も助けてくれないのは、あなたの危機が周りに伝わってないから
・自分の思考で板挟みになっている
・自分の味方になってあげてますか?
・やりたくないときにやっちゃうと、その能力自体が嫌になる


です。

ぜひご参考になさってください。


誰も助けてくれないのは、あなたの危機が周りに伝わってないから


めんつゆさんにお伺いしたいのですが、そのご友人の方々が仲違いをされたとき、彼らはめんつゆさんに何か要望を言ってこられたんでしょうか?

板挟み状態の時は、どちらの味方にもなりません。私が離れたコミュニティは仲直りはせずともそれぞれで楽しんでいるようで、

仲違いをした本人たちは、なんだかんだで楽しんではいたんですもんね。

でもめんつゆさんは彼らから「あいつへのLINEは縦読みしたときに全部悪口になるような文章にして!」とか「あいつの黒歴史をSNSで拡散してやる!手伝って!」とか「チェーンメールきたらあいつに絶対転送しまくろうね!」とか言われたんでしょうか?

え、チェーンメールが分からない?
つ~た~わ~れ~~ by 佐久間 一行


あとは、その両方の友達の愚痴の聞き役をされてたとかかなぁ?


というのもですね。
以下いっぱいツッコんで聞きたいことがあるんです。

うまく、立ち回ることができればいいのですが、私自身、板挟みが嫌になると、苦しくなってそのコミュニティから離れる、ということを繰り返しています。

めんつゆさんにとって「うまく立ち回る」ってどういうことを指しますか?
もしかして「うまく立ち回らなきゃ」って思ってます?
だとしたら、どうしてそう思うんでしょうか?

板挟み状態の時は、どちらの味方にもなりません。

どうしてどちらの味方にもならないんですか?
「どっちの味方にもなっちゃだめ!中立でいないと!」という義務感をめんつゆさんの文章に感じるんですが、そういう想いってお持ちですか?

うまく立ち回らなかったら、事態はどうなっちゃうって思いますか?
本当はこっちの味方なんだけどな~って感じたことはありましたか?


あとは、

私の楽しい平和な世界は壊したくせに、

めんつゆさんにとって「楽しい平和な世界」って、誰がどういう状態を指すんでしょうか?

たとえば、
・みんなが文句とか言い争いをしない状態。
・私も好きで、私も好かれてる。そんな人達だけの状態。
・多少の文句は各個人の中である程度は我慢をするグループ。
・人を傷つけたり、人の嫌がることをしない人たちに囲まれる。
・みんなずっと笑顔でいてくれる環境。
とかでしょうか。

めんつゆさんがイメージをしている「楽しい平和な世界」に近い物はありますか?

1つだけじゃなく、この他にもたくさん要素があっていいので、ぜひそれを言語化してみてほしいんですね。



で、なんでこんなにたくさんツッコんだかっていうと、

それって、本当にめんつゆさんが思っているような事態だったのかな?

っていう目でカウンセラーは見ていくからです。

「見ていかなきゃ」なだけで、責めてるわけじゃないよ!



要は、「事実は一つでも、真実は一つじゃない」っていうお話です。


例えば、めんつゆさんにとっての「楽しい平和な世界」が「人を傷つけたり、人の嫌がることをしない人たちに囲まれること」だとしますね。

で、例えば友達Aちゃんにとっての「楽しい平和な世界」は「自分の好きなように言いたいことを言いたいときに言える場」だとします。


そうすると、もしコミュニティ内でメンバーが仲違いしたとしても、めんつゆさんからの見え方と友達Aちゃんからの見え方は変わってくると思いませんか?


「メンバーが仲違いした」っていうのが事実。

めんつゆさんにとっては「人間関係が壊れた!」っていう捉え方(真実)になりますよね。


でも、友達Aちゃんにとっては「まあ、意見が食い違うこともあるよね。でさー(他の話題へ)」っていう捉え方になります。
もしくは完全に無関心とか、仲違いが起きたこと自体まったく気付かないってこともありえるかも。

そこに友達Bちゃん、Cちゃん…と増えれば、その人数分だけの真実が存在するわけです。

めんつゆさんと同じように感じることがあっても、本当に同じように感じてるかは、もう確かめようがない。

私たちはどうしても「主観」というものを持っているので、こうなっちゃうんですね。



めんつゆさんの家庭環境が、
・嫁姑仲が悪く、ピリピリした家庭で育つ(家庭の中でも板挟み)
・家族の不和は誰にも相談できなかった
・ずっと母の愚痴聞き役
・いじめ、家族不和を周りに相談できず、ずっと抱え込む
これぐらい大変な想いをされてきたのであれば、その過去から学んだ教訓の数も膨大なもの。
いろんなデータがたくさんめんつゆさんの中に蓄積されてるんじゃないかなーと思うんです。

そうやって「めんつゆさんの主観」というのが自動的に作り上げられていくってわけなんです。
もちろん、他の人も同じ!


なので「人間関係が壊れた!」という事態として捉えるかどうかは、その人次第ということ。
めんつゆさんにとっては一大事でも、実際どうだったかっていうのは、人によって受け取り方はさまざま。

だから残念なことに、めんつゆさんがこれだけ人間関係で悩んでいることが、周りの人たちにはあまり伝わってないのかもしれません。
伝わっていたとしても、めんつゆさんが感じている深刻さにはほど遠いとか。


(あとこれは脱線ですが、めんつゆさんが「すごくたくましい人」ってみんなに認知されてる可能性もあるかも。)


だからこそ、

私は大事な人を守るのに、私を守ってくれる人は誰1人としていません。そして、ひとりぼっちになります。

こんなふうに感じちゃう状況が作り出されちゃうのかもしれませんよね。

そういう状況が1回や2回じゃなく、もし何回もあったとしたら、なおさらこの可能性は否めないです。


めんつゆさんはそれぐらいしんどさを周りの人たちにバレないように隠すのも上手なのかもしれませんよね。

かみしめた唇から血が出るぐらい必死なのに、うめき声を出さないように頑張っちゃってるのかもしれませんよね。



自分の思考で板挟みになっている


じゃあどうしてそんなに、めんつゆさんの状態が周りの人に伝わってないかもしれないのか?

そこにめんつゆさんの思考パターンがあると思います。

例えば、普段こんなふうに感じていませんか?

・喧嘩はよくない
・争いごとはどうにかしないと
・空気を悪くするのはダメなこと
・人間関係は多少の我慢は必要
・誰かが怒ってる(怒られてる)のを見るのが嫌
・さらに空気が悪くならないようになんとか取り持つべき

そしてそれを全部自分の中だけで必死に考えていませんか?


つまり、めんつゆさんは、

誰かと誰かの板挟みじゃなくて

自分の中の思考と思考の板挟みになっている
んじゃないかなと思いました。


こうしたほうがいい。
ああしたほうがいいかも。
こうすべきかな?
どうするのが正しいかな?

って自分の中でいろんな思考が飛び交っているんです。

思考も想いもたくさんあるんだけど、どれも自信がないのかもしれません。
だから自分だけじゃ手一杯なのに、そんなことをグループ内で仲違いした張本人たちに打ち明けるわけにもいかないって感じちゃうのかもしれません。

ああ、でもそんなことしてたら、完全に喧嘩が終わってしまった!やばい!冷戦状態だ!!これはまずいぞ!でもこうじゃないと私対応できないしな!ええい、こうするしかない!
ハッ、やっぱり私にはうまくできない!!

あーーもうやだーーー!!!


どっかーん\(^o^)/


このときに感じる感情が嫌で、その感情を遠ざけたい。
だから、その場所やコミュニティから遠ざかりたくなっている。
っていうのが今の状況なんですね。

それぐらい切羽詰まってるんだから、なんだか楽しそうにのほほんと過ごしてる友達を見ると「なんでお前らばっかり!!!!!!」と富士山大噴火のごとくマグマ(怒り)がめらめらとめんつゆさんの内に湧き上がってくるんだと思います。


ほんとうに手に負えなくなるまで「助けて」って人に言えないんだもん。
そりゃあ、噴火しちゃいますよね。



自分の味方になってあげてますか?


めんつゆさんは、そんなふうに怒りをためこんじゃうご自分を受け入れられてますか?
だからしょうがないよねってご自分を理解できてますか?


板挟み状態の時は、どちらの味方にもなりません。
私は大事な人を守るのに、私を守ってくれる人は誰1人としていません。

めんつゆさんは、自分の味方になってあげてますか?
自分自身を守ってあげてますか?


「こんだけいろんなことを同時に考えてたら、そりゃあうまく立ち回れないって感じちゃうよねー。」
とか。

「愚痴なんて聞きたくないよねー。むしろ私が愚痴りたいわ。」
とか。

「でも、やっぱりなんだかんだ聞き役になっちゃうんだよね。それが今の私だもんねー。」
とか。

「こんだけ我慢して頑張ってるんだから、そりゃあ日本全土を脅かすぐらいのマグマは簡単にできちゃうよねーーーーー!」
とか。


それが今の自分だよねって、まずは味方になってあげましょう。


どれだけ自己肯定感が上がっても。
何度も親と向き合ってきても。
何歳になっても。

壁にぶつかるたびに、自分を受け入れてあげる。

とっても大切なポイントです。


もしよかったら以下の記事も参考になさってください。
「これが自分なんだもんね」と思えるようになるためのステップを詳しく解説しています。

やりたくないときにやっちゃうと、その能力自体が嫌になる


そして、めんつゆさんがどうしても「仲裁役をしたくないのにやっちゃう」「愚痴の聞き役をやりたくないのにやっちゃう」「人の顔色をうかがいたくないのにうかがっちゃう」のであれば、その能力を使う相手・シチュエーション・タイミングはめんつゆさんが決めてあげましょう。

「できるかどうか」じゃなく「やりたいかどうか」です。


本当はやりたくないときにやっちゃうから、もうその能力自体が嫌になっちゃうんですね。


仲裁役をしたくないときなのに、しちゃう。
だから、もう仲裁役なんてやりたくない!って感じちゃってる。

愚痴の聞き役をやりたくないときなのに、ついやっちゃう。
だから、もう誰の愚痴も聞きたくない!って感じちゃう。

自然とやれるときが本当はあるはずなのに。


空を飛ぶ鳥だって、ちょっと潜ったり泳ぐぐらいは余裕でできます。

でもそのためには、潜る前に魚はこの辺にいると見定めたり、魚群の群れを見つけたりする必要があって。
よし、これならいける!って判断したうえで、海に飛び込みます。

で、ダメだったら、また一度空に戻っていくんですよね。
ずっと海の中だと本領発揮できないから。


めんつゆさんも自然とできる範囲内というものがあるはずなんです。
なんなら、その範囲内なら心地よいぐらい。
「あ~これなら努力もいらないわ~」「なんなら勝手にみんなからありがたがられるわ~」っていうゾーンがあるはず。


だから、やりたいときはやっていいし、やりたくないときはやらなくていいんです。


今日はしたい?
したくない?

この人はどう?
やってあげたい?
やってあげたくない?
どうでもいい人?

もしやってもやらなくてもどっちでもいいなら、今はどっちの気分?


やりたくないんだけどついやっちゃうなら、心の中で「でも本当は私これやりたくないんだよね。」って自分の気持ちに寄り添ってあげましょう。

「やりたくないのにやった私って偉くない!?」と自分をたくさん褒めてあげましょう。



ご提案まとめ


なのでまずは、自分を板挟みにしてしまっている「自分の思考たち」を洗い出してみましょう。

その思考たちはどれも、めんつゆさんの想いです。
矛盾や葛藤があっても、めんつゆさんの本音です。
それが「良い」か「悪い」かは考えないで。


そんな思考を持っちゃって当然だったはずなんです。

そう想ってきたから生きてこられたはずなんです。


自分の中に「悪者」を作らないこと。
自分の内に「争い」を作らないこと。

この捉え方が、めんつゆさんを徐々に板挟み状態から解放してくれます。
「自分を許す」ということでもあります。

思考の洗い出し方が分からない場合は、この記事の冒頭を読み直してみてくださいね。
徳永がいっぱいツッコんでお聞きしたたくさんの質問が、そのお役に立てると思います。


そしてそんな自分を許してあげましょう。
自分の味方になってあげましょう。

それができてから、そんな自分の心の内にある想いを友達に伝えてみてはどうでしょう。

「みんなが一緒にこうなってくれると私は嬉しい」
「友達同士が仲違いしちゃうと、とても悲しくなる」
「いつも私がどうにかしなきゃって思っちゃう」
「私にできる範囲内で本当は力になりたいんだ」
「私の愚痴を聞いてくれないかな」
「本当は、助けてほしいの」

めんつゆさんが自分自身の味方になれて、そんな自分の置かれてる状況がどれだけしんどいかをめんつゆさんが認められてから、周りの人たちに打ち明けてみてほしいんです。

そうすると恐らく、めんつゆさんの状況や想いが、今までよりも伝わるようになると思うんですね。

自分が自分の味方になってあげられた分だけ、周りの人も自分の味方になってくれるからです。


そのとき、今は疎んでしまっている自分の性格や能力が、ちょっとずつ受け入れやすくなっていくと思います。

「やっぱり私ってみんなに楽しいって思ってもらいたいんだよね」とか「私のこの気遣いで誰かが喜んでくれるならいいか」とか。

これがやっぱり私だよなぁってめんつゆさんが自覚してその能力を使っていると、それをありがたがる人っていうのが現れます。勝手に感謝されたりとか。(今もうすでにいらっしゃるはずですが)

それはもう、自分の人生ですよね。
他の誰でもないめんつゆさんの生き方です。


鳥は空を飛んでもいいし、海に潜ってもいい。

でもその羽を武器にするのか、邪魔にするかは、あなた次第。

私はどうしたいのかな?とご自身の声を聞き続けてあげてくださいね。


今回の記事で何かご質問やご感想などがあれば、ぜひお送りください〜!



1月もカウンセリングを募集中です♪
今月はお申し込みが少ないので狙い目ですよ!笑


みなさんからのコメントを楽しみにしています♪
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必ずお返事をさせていただいておりますので、ご感想やお気づきのことなどありましたら、お気軽にお寄せください。



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