こんにちは!
心理カウンセラーの徳永麻由子です。
あなたが何か失敗したとき。
あなたが誰かに怒られたとき。
あなたが誰かを傷つけてしまったとき。
あなたはどんな言葉で反省をしていますか?
今回、この記事を書くこと、公開することがとても怖かったんです。
また、人に嫌われるかもしれない。
また、人を傷つけてしまうかもしれない。
また、人を不快に感じさせるかもしれない。
こんな自慰行為のような記事(言い方!)、どうかと思ったんですが、私の心の内側を吐き出してみました。
落ち込んで泣いた私
先週末、心理カウンセラー仲間向けにミニ講座をさせていただいたんです。
(心理学講座の講師になるためのチャレンジ中なんです)
初チャレンジのとき、私はできなかったこととか意識できてなかったことがたくさんあったんですよ。
でも今回は3回目。
できてなかったことも、できるようになってはいる。
徐々に、ゆっくり、少しずつだけど。
だからそんな自分を自分で褒めるようにはしてるんです。
でも、やっぱりまだまだ「できていないこと」ばかり気になっちゃう。
結局チャレンジする度に、「自分を褒める時間」と「大真面目に反省する時間」が必ずあって。
特に今回は、チャレンジ3回の中で一番落ち込んだんです。
ちなみに初チャレンジのときの落ち込みエピソードは、なぜかみんなに大好評でした。
詳しくはこちら▼
今回のチャレンジもね。
すごくたくさんのお褒めの言葉もいただいたんです。
ミニ講座を受講してくださった皆さんからもそう。
それ以外の仲間や、私のお客さまからも。
ほんとうに、嬉しかったんです。
それでもやっぱり落ち込みました。
数日間は勝手に涙が出てくるぐらいには。
いつものことだけど。
私がものすごく落ち込んだ理由。
それは、「私はどうして相手の気持ちを大切にしてあげられないんだろう」って申し訳ない気持ちになったから。
友人を傷つけてしまった申し訳なさ
昨年末、私は大切な友人のことを裏切ってしまったんですね。
私のせいで。
私が、気分屋なせいで。
私が、不安症なせいで。
私が、怖くなっちゃったせいで。
私が、自己主張したせいで。
私が、自分の意見を押し通したせいで。
ものすごく、ものすごく傷つけちゃったんです。
ものすごく傷つけちゃったし。
怒らせちゃっただろうし。
言葉にもならないほどがっかりさせただろうし。
それがすごく申し訳なくて。
たくさんの「ごめんなさい」という言葉を私は送ったんだけど、それもおかしいよねって自分では思ったんです。
友人だって、傷つきたくて傷ついたんじゃない。
怒りたくて怒ってるんじゃない。
「あんなやつ、許したくない!」って思いたくて、思ってるんじゃない。
なのに、私が「ごめんなさい」って言っていいの?
私がまいたタネなのに。
謝ること自体、私がズルいんじゃないの?
私が傷つけてしまった側なのに。
それならもっと最初から気をつけてればよかったのに。
なんで私は、もっと気をつけられなかったんだろう。
なんで私は、いつも考え無しなんだろう。
なんで私は、相手の気持ちを大切にしてあげられないんだろう。
そう反省したんです。
むせかえるほどの想いをぶつけてしまう申し訳なさ
私のミニ講座へのチャレンジもそうなんです。
私が作る講座の内容って、どうもボリュームをぎゅうぎゅうに詰め込んじゃいがちで。
たくさん伝えたいって想いがあったり。
たくさん詰め込まないと申し訳ないって思ってたし。
みんなによく想われたいっていうのもあったんだと思う。
純粋な気持ちも、邪な気持ちも、いろいろ混ざってて。
とにかくたくさん内容を詰め込んじゃってたんです。
で、講座前とか、講座中はそれに気づかないんですよ。
毎回。
講座が終わった後に、みんなの反応を見て私は1人反省会を始めます。
ああ、きっと分かりづらかっただろうな。
今回もうまくまとめられてなかったな。
これじゃあ、満腹かもしれない人に、「もっと食べなさい。もっと食べなさい。」って食わせようとしてるようなもんだな。
なんて自分本位なんだって思いました。
「講座に来てくれてありがとう」っていうメッセージやお礼も、一人一人に対してとても熱量をかけちゃうんです。私。
私が伝えたい分だけのありったけの想いを伝えようとしちゃうんです。
私のこの感謝を〜ってそこばかり気にして、どっかーんと送っちゃう。
私がそれをされたら嬉しいからといって、相手がそうとも限らないじゃん。
考えたら分かるようなことなのに、なんで私は気づかないんだろう。
私にとっては面白いからといって、それがみんなにも受け入れられるわけないじゃん。
ちょっと考えたら分かるようなことなのに、なんで私はいつもこうなんだろう。
なんで私は、相手の気持ちを大切にしてあげられないんだろう。
そう反省したんです。
あとは、私が感謝したいと思う時に、同時に「こんなの申し訳ないな」って想いがあるのも大きいんだと思います。
詳しくはこちら▼
いつも同じ反省会
いつもです。
いつも私は、人を傷つけてしまう。
考えたら分かることなのに、気をつけてもいるはずなのに、それでもやっぱり人の気持ちを考えてあげられてない。
自分の気持ちばかり先行して、人を傷つけてる。
義母のこともそう。
私がたくさん自己主張したから。
昔からそう。
小中高とずっと。
大学生になっても、大人になっても。
結婚しても、心の世界を学んでも。
どうして私は人の気持ちを大切にしてあげられないんだろう。
どうしてこんな大きな後悔をしないと、私は気づけないんだろう。
どうして私はこんな人間なんだろう。
こんな言葉で、私はずっと反省をしています。
でもこれって、ほんとうに反省してるんだろうか?って思ったんです。今回。
だってこんな反省を私はもう何十年やってるの?
何十年も反省して、ずっと自分を叱って、それでも同じ失敗をしちゃうってどういうこと?
って思ったんです。
「どうして私は人の気持ちを大切にしてあげられないんだろう」「どうして私はこんな人間なんだろう」って言葉、便利なんですよ。きっと。
そう思っておけば、私がまた何か人間関係のトラブルを起こしたとき、この言葉で全部片付けるんじゃないかなって気がしました。
なんかまだその先に、私が向き合わないといけない「問題の本質」があるような気がしました。
だから「反省」って、その本質と向き合わないで済む時間なんだろうな。
って思ったんです。
私の反省モード
今回、友人を傷つけてしまったとき。
私、すぐに謝ったんですね。
心から申し訳ないって思ったから、謝ったんです。
でもそれって、昔からだったなあって思い出しました。
私が小学生の頃、何か悪いことをしたとき、取り返しのつかないことをしてしまったとき。
父親や母親、学校の先生から怒られるんですよね。
怒られるのが分かってた私は、怒られる何時間も前から「反省モード」になってたんです。
顔の表情をしゅんとさせて、顔は下を向いて。
元気でいちゃダメだから、お腹空いててもとことん何も食べないようにして。
楽しいことも考えちゃダメ。
兄弟がテレビアニメを観て楽しんでたら、それに加わっちゃダメ。
友達と遊びに行くのもダメ。
1人で部屋にこもってないとダメ。
今思えば、自分で自分を牢獄に入れてるような感覚でした。
ずっと心の中で「ごめんなさい。もう二度としません。」って呟き続けるもんだから、だんだん涙も自然と出てくるんですよ。
「ほんとうにごめんなさい」って。
とにかく四六時中、どこから誰がみても「こいつはちゃんと心から反省してるな」って分かるように、反省してました。
反省してると見落としがちなこと
そしてそんなことが一度や二度じゃなくて。
何度もあったなあって思い出しました。
このブログにこんな懺悔(ざんげ)のような記事を書くのも、私の反省モードをみんなに見てもらおうとしてるからなのかもしれない。
つまり、これって「反省」じゃなくて、「後悔」なんじゃないかなって思ったんです。
相手のための反省でもない。
相手のための「ごめんなさい」でもない。
自分の中の後悔。
「私はちゃんと反省しています」
「すごく後悔しています」
「だから、あまり怒らないでほしい」
小学生の時、こんなふうに感じていたのか覚えていませんが、大人になった今も、もしかしたらこう感じているのかもしれません。
そう考えると私ってなんて弱い人間で、ちっぽけな人間なんだろうって思いました。
自分のことばかり。
自分のことばかりなんだけど、そこに見落としてるものがあるのかもしれない。
見て見ぬふりをしてる「問題の本質」があるのかもしれない。
結局、自分のことを見る他ないんだなって思ったんです。
反省する前にやるべきこと
「相手の気持ちを考えないでいい」って言いたいわけじゃないんです。
傷つけてしまったり、迷惑をかけてしまったのであれば、やっぱり反省したいんです。
もう二度と同じことを繰り返したくないから。
ただ、どうして私は相手を傷つけちゃうような言動を取っちゃうのか?
どうして私は相手が受け取りきれないほどの想いをぶつけちゃくなっちゃうのか?
自分の中のどういう想いが、そうさせちゃうのか?
こういうことを自分自身で知ることが、一番最初に考えなきゃいけないことなんだって思いました。
カウンセリングでは、お客さまにいつも言ってるんだけどね。
自分自身のことはやっぱり分かってないことがまだまだいっぱいあるよね。
失恋も。
破局も。
喧嘩やすれ違いも。
恋人。
家族間。
友人間であっても。
友人間であっても。
「あなたを傷つけてしまって、ごめんなさい」という気持ち。
それは、
「あなたを愛してあげられなくて、ごめんなさい」っていうメッセージなんだと思います。
あなたの望むように、あなたにしてあげられなくて、ごめんなさい。
あなたの喜びに、私がなってあげられなくて、ごめんなさい。
あなたを信じてあげられなかったこんな私で、ごめんなさい。
謝っていい。
後悔していい。
でも、その理由を知っておこう。
なんで相手の望むようにしてあげられなかったのか。
なんで相手の喜びになってあげられなかったのか。
なんで愛してあげられなかったのか。
そんな私の中の理由を、私が知っていないでどうするの。
ね?
何が悪いとか、悪者探しはしないよ。
自分を悪者にもしないし、相手も悪者にしない。
自分の心の中にも悪者を作らないようにする。
相手を愛してあげられなかった自分なりの理由というものを、ただただ知っておいてあげたいんです。
自分でこんなこと書くのは、とてもいたたまれないんだけど。
お叱りは受ける覚悟・批判される覚悟で書いてる。
私が自分のことを大切に扱っていないと、相手のことを大切に扱えないまま。
私が自分の気持ちを汲んであげないと、相手の気持ちも汲んであげられないまま。
私の口から出る「ごめんなさい」は、いつまで経っても小学生の反省モードのまま。
そうじゃない。
相手のための「ごめんなさい」が言いたい。
相手のための「ありがとう」をちゃんと渡したい。
私のためだし、相手のため。
実はここ2ヶ月、継続カウンセリングのお客さまのご相談内容のテーマがもれなく「罪悪感」だったんです。
私のせいだったのかもなー。
自分を過信しないこと
「まゆちゃん、自分1人で頑張ってるって思いすぎたんだね。」
今回落ち込む私に、こんな言葉をかけてくれた友人がいました。
言われてすぐは、私もぴんとこなかったんだけど。
そっか。
私のこの「ごめんなさい」っていう気持ち、全部自分の中でどうにかしようとしてたんだなって気づきました。
傷つけた友人に対して、私は一生「ごめんなさい」って言い続けようって思ってた。
自分の心の中で。
むせかえるほどの感謝の想いを人にぶつけちゃう私。
そもそも「なんかこんなにしてくれて申し訳ない」って私が思った時点で、それを相手に打ち明ければ良かったんだ。
ミニ講座の内容もいろいろ詰め込んじゃうんなら、誰かに相談すればよかったんだ。
お義母さんのことも、私まだまだ実は申し訳ないって思ってるって、誰かに打ち明けたらいいんだ。
「私が悪いから」って思ってたから、私がどうにかしないといけないって思ってた。
「実際に私が原因だから」って思ってるから、反省も改善策を考えるのも、全部自分一人でやってた。
しかも相手のことをどうにかできるほど、私はそんな大した影響力のある人間なんだろうか?って思ったんです。
私は自分を過信してたんですね。
人を信頼してなかったんですね。
そりゃあ、同じこと繰り返しちゃうよね。
自分だけでなんとかしようとしてるんだから。
自分はそれだけ大きな影響力のある人間なんだって思い込んでたから。
相手を過小評価して、自分を過大評価してるってことか…
痛いわー。
ミニ講座でもそれ言ったわー。
だからこの気持ちと向き合うのも、一人でなんとかしようとせず、早々に誰かに頼ろうと思います。
私は弱いし、私はちっぽけ。
人間ってそういうものだよね。
みんな一緒だよね。
あなたが何か失敗したとき。
あなたが誰かに怒られたとき。
あなたが誰かを傷つけてしまったとき。
あなたはどんな言葉で反省していますか?
あなたが誰かを傷つけてしまったとき。
あなたはどんな言葉で反省していますか?
落ち込んで反省を始める前に、一歩立ち止まってみよう。
あなたが見て見ぬふりをしてきたかもしれない想いを、一緒に拾い上げよう。
あなたが見て見ぬふりをしてきたかもしれない想いを、一緒に拾い上げよう。
あなた一人で抱えこまないで。
私も私の問題にちゃんと向き合うから。
補足
こんな私だからこそ、あなたの中の「ごめんなさい」を見つけることもできるかもしれないなと思って、カウンセリング毎月頑張っています。
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