今日は私個人の思い出話をしたいと思います。
私のただの思い出話。
心の大切なお話。
皆さんは永遠のお別れをした、大切な人はいますか?
※「家族」「ペット」「死別・離別」などの言葉に抵抗のある方は、ここから先はお控えくださいね。
ひなたぼっこ&お昼寝の図 |
今朝早く、飼い猫2匹のうち、1匹が息を引き取りました。
先週大怪我を負ってしまい、1週間病院にお世話になりましたが、弱まる一方でした。
猫は縄張り意識が強く、家じゃない環境に移動させられるだけでストレスいっぱいなようで、特に神経質な性格だったこの子には、とても苦痛だったようです。
普段、頭痛を経験しない私ですが、今週はずっと頭痛が酷く、食べ物も受け付けなかったんですが、きっとこの子の危篤な状態に、私の体調がリンクしちゃったんだろうなぁと。
この子が息を引き取った後に、そう思いました。
今日急遽休ませてくれた会社にも、感謝です。
今日息を引き取った子、クロちゃんは、我が家の通算5匹目のペットでした。
本当は椅子を独り占めしたいと無言で訴えてるクロちゃん |
今日、火葬場に私一人でクロちゃんを連れて行ったのですが、過去に何度もペットとお別れしたことがあるので、火葬場でのお別れに抵抗感というものはそんなに無いんですね。
ペット斎場・霊園のスタッフさんも、とても優しくて。
とても丁寧に対応・ケアしてくれるんです。
だからこんなことを質問されました。
「この子とは、どんな出会いだったんですか?」
その瞬間、私は急に涙が止まらなくなってしまいました。
この子との記憶が滝のように流れ出てきたんですね。
最初の出会いから、今日亡くなるこの日まで、全部の思い出。
ああ、やっぱり、お別れって悲しいなぁ。
毎回、毎回、悲しいなぁ。
それで思い出したんです。
過去にお別れしてきたペットたちのこと。
過去に亡くした大切な家族のこと。
私が小学生の頃、初めてのペットとなるワンちゃんを迎えました。
雑種だったため、人気がなく、ブリーダーさんのお家でずっと売れ残っていた2−3歳ぐらいの小型犬でした。
今でこそ"ミックス犬"と呼ばれ、可愛いと人気がありますが、当時は見向きもされないことが多く、無料で引き取った子でした。
家族みんなで溺愛しました。
もともとお庭で飼っていたのですが、親に怒られない程度に徐々に家の中に引き込み、最終的には室内犬になった子でした。
私たち4人兄弟の下2人は、当時は幼稚園生ぐらいだったので、彼らにとってはそれこそ飼い犬を家族同然のように接していました。
最後は大病を患いながらも、14歳まで長生きをしてくれました。
そのワンちゃんが亡くなった翌年に、実家の庭で、野良猫が子猫を4匹産み落としていきました。
それを心配そうに見ていた妹が、子猫たちを保護し、引き取り手を探したいと言い始めたんです。
4匹のうち2匹はなんとか貰い手が見つかったのですが、それ以降はなかなか見つからず。
結局その残った2匹は我が家で飼うことになりました。
それまで犬派で、猫には全く見向きもしなかった家族でしたが、実際に飼ってみるとその可愛さに一瞬でメロメロになってしまいました。
でも野良猫というのは病気になりやすく、長生きするのが難しいと言われているんですね。
特に腎臓の病気が多いんです。
保護した2匹も、1歳になった途端1匹が亡くなり、もう1匹も2歳になる前に亡くなりました。
その間にも、他に貰い手が見つからない子猫を新たに引き受けましたが、その子も1歳になる前に亡くなりました。
その数ヶ月後にまた、新たな野良猫親子が我が家の庭をうろつくようになりました。
お母さん猫+小さな白猫+小さな黒猫兄弟の3匹セット。
こっそり餌を与えると、お母さん猫と小さな白猫はガツガツご飯を食べます。
小さな黒猫は警戒心が強く、また他の猫を制してまでご飯を食べるガッツの無い子のようで、いつも食べそびれていたようです。
この時の小さな黒猫が、今回息を引き取った我が家のクロちゃんでした。
野良猫としてやっていけないであろうこの黒猫のことを心配し、妹が保護したんですね。
ペットを何度亡くそうと、何度大泣きしようと。
目の前にいる命を助けたいという思いは、彼女の中で消えることがないようでした。
我が家の一員となったクロちゃんが無事1歳になった頃、貰い手のなかった新たな野良の子猫を保護しました。
先住猫であるクロちゃんは、徐々に新入り猫を受け入れてくれ、毛繕いまでしてくれる仲の良い兄弟になってくれました。
この2匹は奇跡的に病気にもかからず、2歳、3歳と年を重ねることができました。
今日亡くなったクロちゃんは10歳だったのですが、我が家の歴代ペットの中では長生きな方だったんです。
本当に最後までよく頑張ってくれました。
実は私は今年、「死」についてとても考えた年でした。
今年の6月、義母を自死で亡くしました。
昨年の夏、主人との結婚を期に、私+主人+義母との同居生活を始めたのですが、互いに馬が合わず。
義母を死へ追いやってしまったと、私も、主人も、他の家族も、罪悪感にいっぱい飲み込まれました。
義母が飼っていたワンちゃんも亡くしました。
眠れない日々、懺悔した毎日、普段あまり泣かない主人が嗚咽を漏らしながら泣いた深夜のベッド、自分達への戒めの言葉、互いを赦し支え合う言葉、お義母さんへの謝罪と信頼など。
心の深いところで、いろんな感情を経験しました。
お義母さんの生前抱いていた葛藤、自死へ向かう心がどんなに孤独だったか、私たち夫婦は今も毎日思いを馳せています。
7月、私の祖母を亡くしました。
98歳の大往生でした。
亡くなる1週間前ほど、自分の死期を悟ったのか、水分も食事も一切取りたくないと祖母が言い張ってたので、点滴を常に打たされていました。
家族や親戚がお見舞いに行っても、弱りきった祖母はあまり反応がなかったそうですが、私が訪れた日はとても快活に会話をしてくれたんです。
祖母にとって初孫であった私は、神様がこの日限りの"特権"を私に与えてくれました。
「本当はおばあちゃん、もうあの世に行きたかー。お迎えが来よん。でも、ここのみんながね、心配ばするけん。気ぃつかって点滴してもらいよると。」
祖母はそんなことを笑いながら、私にだけこっそり、伝えてくれました。
この祖母は、父方の祖母になるのですが、私の父は18年前、私が高校生の時にガンで亡くしました。
自分の息子よりだいぶ長生きしてしまったと言う祖母は、穏やかな気持ちで死を迎えていたように見えました。
皆さんも、身近な人、大切な家族の死を経験したことがあると思います。
誰しも、いつか経験します。
命あるもの、いつか死を迎えます。
その時に感じる感情ってどんなものがあるでしょうか?
悲しみ、辛さ、恐怖、不安、絶望、後悔、罪悪感、孤独感、感謝、幸福感。
私も心がえぐれそうな悲しみと痛みを伴います。
でもそれと同時に、奇跡を実感するんです。
身体が腐らない奇跡。
身体が動き続けられる奇跡。
意識がある奇跡。
心が動いている奇跡。
生きている奇跡。
生かされている奇跡。
死を目の当たりにすると、いつも、この奇跡を心から思い知らされます。
死を基準にすると、生がいかに大切かを感じます。
私は父を亡くした後、あまりお仏壇に手を合わせる習慣が身につきませんでした。
でも父の死から18年。
やっと今年、義母を亡くしたことで、毎日お仏壇に手を合わせて、お線香に火を灯すようになりました。
お水を替えて、ご飯とおかずを毎日お供えするようになりました。
仏花を絶やさないよう、お花をちょこちょこ買うようになりました。
毎日、仏さまや神さま、ご先祖さまにお祈りをします。
今日も私たちに新しい命を与えてくださり、ありがとうございます。
新しい1日を与えてくださり、感謝しています。
ご先祖様もお義母さんもペット達も、どうか皆さんが痛みや苦痛のない世界で心穏やかに過ごせていますように。
どうか私の友人や家族、世界中の人たちが少しでも平和に過ごせますように。
どうか今日息を引き取ったクロちゃんが、迷子にならないように、天国まで導いてあげてください。
1人寂しくならないように、みんなで迎えてあげてください。
どうか、どうか、よろしくお願いします。
皆さんは永遠のお別れをした、大切な人はいますか?
彼らができないけど、私たちができてることって何でしょう?
彼らはもうできないけど、私たちはまだできることって何でしょう?
死を見つめながら、生を歩む。
そうやって生かされた私たちは、たくさん恩恵に感謝したいですね。
生かされている奇跡をかみしめていきたいですね。
いつか自分の心臓が止まるその時まで。
私は感謝を祈り続けたいです。
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