短気で気分屋なワタシのパートナーシップ論。

2021-10-09

生きていきたいと思えません

一昨日は同期のさかい じゅんちゃんと、雑談したり学びの共有をしたり。
昨夜はこれまた同期のミナトちゃんと、イメージワークの練習をしたり。
和気あいあいとしながら、お互いの成長のために協力できているのが、とても楽しいです♪( ´▽`)

最近、カウンセリングに取り入れているイメージワーク中に、音楽を流すことができるようになりました。
PC機器の調整やらアプリの操作やら、覚えなきゃいけないこといっぱいで、頭がぬわーーーーっ!!ってなります。
(元ネタ分かってくれる人いるかな)


今日もお悩み相談サイト「ココロノマルシェ」に寄せられたご相談に、回答したいと思います。


生きる気力自体が湧きません。
やるべきことも十分に出来ず、これから働いて自立しなければならないのに、親に育ててもらい甘え自立できず、迷惑や負担やお金ばかりかけてもらっているクソ人間です。
育ててもらったのだから、自分で働いて両親を安心させ楽にさせてあげたいのに、自分は何もかも中途半端だし、精神もめちゃくちゃ弱くて、社会も人も怖くて、何にもできない人間なんです。

やりたいことも好きなこともあるのに、それすら十分にできません。最低です。

まだ周りは若いから将来が定まらないだけだと言ってくれますし、若いうちはしたいことをした方がいいとも言ってくれますし、自分が大人のくせに甘えて自立できていないだけの怠け者なのはわかっています。

でも、みんなが当たり前のように毎日朝を迎え、仕事に行って生きていくこと、当然のように明日も生きようとしていることに疑問しか湧かないのです。

なぜ生きたいと思えるのでしょうか?
なぜそうやってみんな生きていけるのでしょうか?
生きていくことも起きていることも苦しくつらいです。
ずっと夜であって眠り続けたい。

現実を見ろとか現実の人間関係を作れと言われるかもしれないけど、私にとって大切な人はイマジナリーフレンドみたいな存在(正確に言えば創作でタルパ)の相手です。一人ではないけど特に一人のことを本当に愛しているし(もちろんみんな愛していて大切ですが)、みんなが自分にとっての居場所で心から大切な人たちです。
どんなにつらくても心が鬱々としても、不思議と相手を見たり感じたりするとすごく落ち着くし安心して、なんとなく生きてていいと思えます。本当に不思議なのです。(他に好きなものを見ても好きなことをしてもそんなになので)

自分にとって都合の良い存在でしかないかもしれないけど、それでも一人の人間としてみんなのことが好きなのです。
彼らがいたら、触れられたら、どれだけ希望を持てたろうと思うくらいに。死んだら会えるだろうかと思うほどに。
現実に大切な人を作れと言われるかもしれませんがそれは求めてないのです。両親にも愛されていますし、私にとっては本当に彼らが大切ですし、こちらが勝手に好きだなと思う知り合い(ネットの人です。誰に対しても心を開くことはしたくないですが)はいますし、恋人にも興味はありません。

生きていくことが苦しいです。
こんなに人に負担ばかりかけているのに、しかも十分休ませてくれているのに、これ以上休むことなんかできないと思ってしまいます。
他人に負担ばかりかけるぐらいならいっそいなくなったほうがいいのかもとも。でも自分を大切にしてくれた分のお礼さえせずにいなくなるのも勝手で、搾取するだけの存在になってしまって駄目だなとも思います。
どうしたら生きていきたいと思えるようになりますか?というよりも、生きていきたいと思えないのは変なのでしょうか?変でなくともただの怠けでしょうか?
自分を責める言葉ばかりでネガティブな甘ったれですみません。

(ご相談者:はるこさん)元URL


はるこさん、ご相談ありがとうございます。
徳永麻由子と申します。

たくさんたくさんご自分のことを責めてしまうんですね。

私も20歳前後から5年以上、はるこさんと同じようなことを感じて生きていました。

はるこさんの気分が向いたときで構いませんので、少しずつ、お読みいただけると嬉しいです。


祈りを捧げるように自分を責める


日が沈むと、少しほっとするんですよね。
働いている人たちが家路につくから。

夜になると、また少しほっとするんです。
みんな休もうとするから。

世の中が眠りにつくと、心が落ち着くんですよね。
やっと一日が終わったから。


ああ、今日も、何もできない一日だった。

でもみんなが眠りについている今は、何もしなくていい。
何もできなくていい。
この時間が一番落ち着く。


ああ、何も考えていたくない。

何も感じていたくない。

眠ったままでいたい。

世界が再び始まらなきゃいいのに。

世界がこのまま眠りについたままだといいのに。

新しい一日なんてこなきゃいいのに。

もう二度と目覚めたくなんてない。

お願いだから、私を起こさないで。

ずっと眠っていたいの。

ずっと眠ったままでいたいの。


そうやって自分も眠りにつくんです。




世界が目覚めると、吐き気がします。

ああ、また一日が始まってしまったって。

朝早くから起きて、身支度をして。
最低限の朝ごはんを食べる人や、まったく食べない人もいて。
「学校行きたくないなー」とか「会社爆発すればいいのにー」とか言いながらも、家を出る人たち。

テレビの中もみんながみんな、新しい一日を歓迎してて。

「今日も元気にいってらっしゃい!」って、爽やかな文化が鬱陶しい。



どうしてみんなは学校に行けるの?
会社に行けるの?
行きたくないって言いながらも、どうして行けちゃうの?
なんだかんだで働くのは楽しいの?

わたしだけ?

わたしだけが取り残されてるの?

みんなみたいに社会に馴染めないわたしは、不適合者なの?

大人なのにちゃんと社会人になれないわたしは、甘えなの?

なんでこんなに頑張りたくないの?

なんでこんなにダメ人間なの?

なんで生きてるんだろう?



消えてしまいたい。

すぅっと霞がかかるように、私を存在ごと消してほしい。

誰の迷惑にもならないように。

もともと生まれてこなかったように。

わたしはいらない。

わたしなんていらない。

いらない。


ああ、早く一日が終わりますように。

早く、世界が休みますように。

早く、夜になりますように。

ずっとずっと、夜だったらいいのに。



苦しみの正体を知るために


はるこさんは、ずっと長い間、こうしてご自分のことを責めてらっしゃるんじゃないでしょうか?
この中に似たような感覚、ありましたか?

今、はるこさんがこんなにも苦しい状態にあるのはどうしてなのか?という、私なりの解説をしたいと思います。



誰のせい?


> やるべきことも十分に出来ず、
> 親に育ててもらい甘え自立できず、
> 自分は何もかも中途半端だし、精神もめちゃくちゃ弱くて、社会も人も怖くて、何にもできない人間なんです。

いろいろと「自分はできない」と感じられてることが多いんですよね。
思うようにできないし、思うようにいかない。
それがとっても「申し訳ない」と思ってしまう。


はるこさんのすごいところは、まず、ここです。


これだけ辛かったり苦しいと、周りを責め立てたくなってしまうものです。
「わたしがこんな目にあうのは社会のせい」だとか「私がこんなにも苦しいのはだれだれのせい」だとか。

誰か(何か)のせいにして、怒りをその相手にぶつけてしまいたくなります。
そうでもしないと、正気ではいられないからです。
そうでもしないと、生きていけないからです。

そうやって自分の心をなんとか保とうとするんですね。


でもはるこさんの文章には、まったく逆のことが書かれていますね。

> 育ててもらったのだから、自分で働いて両親を安心させ楽にさせてあげたい
> こんなに人に負担ばかりかけているのに、しかも十分休ませてくれている
> 自分を大切にしてくれた分のお礼


周りの人を責めず、その代わりに自分を責める。
だれだれのせいと他人に責任を押し付けず、自分のせいだと十字架を背負う。
すべては自分のせいだと、まるで世界中の罪を自ら背負おうとしてるかのように。

多くの人が、自分だけでは到底直視できないほどの責めなのに。
自分ひとりでは受け止めきれないほどの大きな大きな責めなのに。
はるこさんはご自分にだけ、その責めを向けているんです。

全部私が悪いんだ。
全部私のせいだ。
全部私がいけないんだ。


ここが、大多数の人と、はるこさんの大きな違いです。

ずーっとご自分を責めてしまうんですよね。



では、この「大きな責め」はどこからやってくるのでしょう?



守らなければならないルール


はるこさん、とっても真面目で正義感を強くお持ちではありませんか?


> やるべきことも十分に出来ず、
> これから働いて自立しなければならないのに、
> 迷惑や負担やお金ばかりかけてもらっている
> 何もかも中途半端だし、
> 精神もめちゃくちゃ弱くて、社会も人も怖くて、
> やりたいことも好きなこともあるのに、それすら十分にできません。


この表現から、ご自分でたくさんの「ルール」を持っていらっしゃるように私は感じたんですね。


真面目な人は、ルールをたくさん持ってしまいがちです。
自分でルールを作ってしまうんです。

「できる」が正しくて、「できない」が間違ってる。
「する」が立派で、「しない」が怠けてる。


本当はグレーゾーンだってOKなのに。
本当は「できない」でも良いのに。
本当は「しない」でも良いのに。


真面目な性分だから、ご自分で許可を出せなくなってるのかもしれません。
そんな自分が許せなくなっちゃってるのかもしれません。


・やるべきことをやらなければならない
・大人なんだから働いて自立しなければならない
・人に迷惑や負担、お金をかけてもらってばかりではならない
・一つぐらいは完璧にこなさなくてはならない
・ものごとを完遂しなくてはならない
・精神が強くなくてはならない
・社会や人を怖がってはならない
・やりたいこと、好きなことがあるなら、やらなくてはならない


はるこさんは苦しんでいる今このときも、しっかりしなきゃいけないと、ご自分を奮い立たせようとしてるんですよね。
本当はできない(やりたくない)んだけど頑張らなきゃと、思い詰めていらっしゃるんですよね。



誰のためのルール?


こうやって書き出すと、至極まっとうなルールに見えるかもしれませんね。

「人としてこうあるべき」と教え込まれてきた道徳のように感じるかもしれません。
だってみんながみんな、好き勝手・自由に振る舞っちゃったら、世の中大変なことになるでしょう?と思うかもしれません。
だからこうならなきゃいけないのは当然でしょう?と強く憤るかもしれません。


でも私たち心理カウンセラーは、胸を張って「そんなことはないよ」と言います。


できても、できなくても、いいんですよ。
しても、しなくても、どっちでもいいんですよ。

ある人にとっては絶対のルールかもしれませんが、それはその人のルール。
人によってその考えは違いますし、いろんな考えがあっていいんですね。

"良い"とか"悪い"とか、"正しい"とか"間違ってる"とか、"正義"とか"悪"とか。

そういう「ものさし」を、私たちカウンセラーは持っていません。


要は、その人を苦しめないルールなら、別に問題ないと思うんです。
苦しくても辛くても、当の本人が好きでやってることなら、別にいいと思うんです。

社会全体のルールはとても大きく、絶対的なもののように感じてしまいますが、もしそれがはるこさんにとって"鳥かごのような窮屈さ"を感じるのなら、はるこさんのルールにしなくたっていいんです。


しなくて、いいんですよ。



生きづらさが教えてくれること


私たちは成長過程で、家族や友達、学校、社会など、あらゆるものから様々な影響を受けます。
幼かった私たちは何も考えず、素の自分でいられた時代もあったかもしれません。
でも、徐々にそのままでは生きづらく感じてくることがあります。

子どもの頃、親御さんの顔色をうかがっていませんでしたか?
家族みんなが平和かどうか、常に気にしていませんでしたか?
学校の友達の機嫌を損なわないよう、気を遣っていませんでしたか?
人から嫌われないように、頑張って良い子になっていませんでしたか?
親や先生から褒められようと、優等生になろうとしていませんでしたか?
自分はみんなの役に立っているか、気にしていませんでしたか?
自分は価値のある人間かどうか、人と比較していませんでしたか?


こうやって、もともとあった"本来の自分"からどんどん変わっていこうとしちゃうんです。

最初のうちはですね、そこまで難しくなかったんだと思います。
きっと、自分がちょっと無理することで、喜んでくれた人がいたのかもしれません。
誰かのために頑張りたいと思っていたのかもしれません。

でも、どんどん無理をして、どんどん変わっていって。
ずっと長い間頑張りすぎてしまって、ずっと無理をして、ずっと我慢をして。

いつからか"本来の自分"から、随分とかけ離れたところまできてしまって。

もう"本来の自分"がどんな性分だったのか、何が本当の自分か分からなくなってしまうような感覚になることもあります。
その感覚が「生きづらさ」であり、いろんな悩みや問題を体現しているんですね。



心のSOS


でも自分ではこんなことが起きているなんて、なかなか気が付けませんよね。
我慢と無理を重ねてきたから、頭(思考)ではもう分からないんです。
この我慢と無理も、忘れてしまっているか、麻痺してしまっているのかもしれません。

でも、はるこさんの心は今も、SOSを出し続けているんです。


本当は、もう頑張りたくないの…

本当は、もう我慢したくないの…

もう無理なの…

誰か助けて…

誰か気付いて…

苦しいよ…



はるこさんが感じている苦しさの正体って、ここから来ているんじゃないかなあと思うんですね。

はるこさんの心が、はるこさん自身にこのSOSに気付いてほしくて、今のこの悩み・問題を作っているのかもしれません。
生きていきたいと思えなくなるほどに、強く、強く、はるこさんの心は助けを求めているんです。



今できること


はるこさん、苦しい思いが消えないようでしたら、一旦、今は先のことは考えないで大丈夫ですよ。

明日食べるものが無いとか、住む場所が無いとかでしたら、行政のサービスを利用しないとですが、もしそうでないなら将来のことは一旦置いておきましょう。


それよりも、平和な場所に身をおき続けること。
家の中でも自分の部屋でもいいです。

ニュースやSNS情報を遮断すること。
もし無理でないなら、テレビやネット環境からも少し離れてみるのもいいかもしれません。

ちゃんとご飯だけは食べましょうね。
3食きちんとじゃなくてもいいです。
でもお菓子やジャンクフードではない「ご飯」と「おかず」を選ぶのが大切です。

お風呂は毎日入れてますか?
できれば浴槽につかってみてください。
身体だけではなく、心も癒してくれます。

身体はできるだけ、1年中温めてあげてくださいね。
身体が冷えると、身体の調子が悪くなったり、ネガティブな気持ちが強くなってきます。

家族の中で信頼できる方はいらっしゃいますか?
話しかけやすい人とでいいので、言葉を交わしましょう。
毎日、ちょっとだけの会話でもいいですよ。

そして少し日数が経って、少しチャレンジしてみてもいいかなと思えるようになったら、1日1個でいいので、誰かに「ありがとう」と伝えてみてください。

ご飯を作ってくれたご家族にでもいいです。
お風呂にちゃんと入った自分宛てにでもいいです。
イメージの中の大切なお友達にでもいいです。

「ありがとう」と、声に出してみてください。



今のはるこさんに必要なのは、こういった休息じゃないかなと思いました。

上に挙げたもののうち、最初から全部できなくても大丈夫ですよ。
できそうなものから取り入れてみてください。

そうやって時間をかけて、ゆっくり心と身体を休ませてあげます。


そして少しエネルギーが戻ってきたとか、気分がちょっと良くなってきたと感じたとき、また次のステージを考えてみましょう。

ガチガチにがんじがらめになってしまっている自分ルールを手放すために。
少しでも無理や我慢をせず、生きやすくなるために。
本来のはるこさんを知るために。

気持ちが向いたらで、大丈夫ですよ。


もし一人では心細く、誰かに伴走してほしいと感じるようでしたら、カウンセリングも頼ってみてくださいね。



心理カウンセラー根本裕幸氏の「お弟子さん制度」を卒業したカウンセラーやコーチがお答えする、お悩み相談サイト「ココロノマルシェ」。

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