先日、知人と暗渠(あんきょ)ネタで盛り上がりまして。
簡単に言うと、道路なんかで塞がれてる地下を流れる川みたいなものを暗渠と言います。あまり目立たない存在ですが、これが結構歴史的ロマンを感じさせてくるので私は大好きなんですね。
ちなみに私は街中を歩いているときに突然現れたり消えたりする暗渠を見つけると、スマホでグーグルマップを開き、どこの河川とつながっているかを想像するのが好きなタイプ(どんなタイプ)
でもマニアックな人は、そういう地上に一度も現れることのない暗渠が、恐らく通っているであろう上のアスファルト道路をひたすらたどってルートを想像し、川に流れ出る排水口を見つけ出すことができます。意味が分からなくてやばい。
他人の「推し」とか「好きなもの」のお話しを聞くとき、意味が分からなければ分からないほど、楽しくなりますよね。私ももっと変態になりたいなと願った徳永麻由子です、こんにちは!
大規模な工事現場も好きな徳永。(業者さんの迷惑にならないよう要注意だよ) |
福岡天神のようす。ダンジョン感がたまんない。 |
先日のブログにご質問をいただきました。
ありがとうございますー!
ライフワークとか自分らしい幸せな人生を望むのであれば、今もうすでに始まっているってことを知っておこう。いつか好きなこと見つけたい、いつかやりたいことを見つけたい、もっと幸せになりたいと思うなら、今と未来を分断させてはいけない。どれだけ今の自分に素直であるかという連続が未来を作っているから。
いただいたご質問はこちら▼
ブログ読んでて泣きそうになりました。ていうか泣きました。
まさに今どん詰まりで何をやっても気が晴れなくて、休んでても自己嫌悪ばっかりで今の自分や人生を受け入れるのがつらくてしんどかったです。
最近の私は何が楽しくて何が幸せなのかよく分からなくなってるところがあって、好きなことも心から楽しめてない、何がやりたいのか、自分にとっての幸せがなんなのか分からなくてしんどくなっちゃうことがあるので、それが解消されたらいいなって思ってます。
Kさん、ご感想ありがとうございますー!
いつもいつも気さくにLINEを送ってくださって本当に嬉しいです。
まずですね。
Kさんが「形にこだわらずに今の自分でも幸せって思える道があるのかもしれないと少し思えました」という気持ちになれたとのことですが、これってとてもすごいことなんですよね。
まずはそんなご自身を「なんかよく分からんけど、めっちゃ成長したんだなーわたし」って褒めちぎってあげてくださいね。
で、いただいたご質問ですよね。
最近の私は何が楽しくて何が幸せなのかよく分からなくなってるところがあって、好きなことも心から楽しめてない、何がやりたいのか、自分にとっての幸せがなんなのか分からなくてしんどくなっちゃうことがあるので、それが解消されたらいいなって思ってます。
わかるーーー。
楽しみたい!っていう欲求で始まったことのはずなのに、楽しめてない自分はダメだ!と自分責めをするきっかけを増やしてるというなんとも不思議なことになっちゃうんですよね。
その点、いつでもどこでも推し活に精を出してる人を見ると羨ましくなりません?あれっていいですよね。
なので今日は、
- 毎日マンネリ
- ときめきが無い
- 何が「楽しい」と感じるのか分からない
- 何が「幸せ」なのか分からない
- 以前は好きなことを楽しめてたのに最近ぜんぜん楽しくない
みたいな方々にもちょっと関連のある記事を書いてみたいと思います。(ちょっとかい)
で、どんなものでも「楽しむ(喜ぶ)」ってことを考えるときに、私が大切だよなと思っているポイントが山ほどあるんですが、心理学的な王道はこのあたりで。
・自分に喜びを許可できない(罪悪感)
・そもそも疲れていてそれどころじゃない
・環境が自分に合ってない
・「楽しんでやるもんか(=あんたが私を楽しませてみなさいよ)」的な怒り
どれを書くにもボリューミーすぎてどうしようと思い悩み、気付けば一週間が経過しちゃってましたという徳永の言い訳から今日のブログはスタートです。
私自身も「なんも楽しみがない」という時期があった(なんなら今も定期的にくる)んで、どうやってたっけ?と思い返してみたところ、1つキーポイントを思い出しました。
今回はその点だけシェアさせてくださいね。(でも記事長いよ)
同じように悩まれてるみなさんに当てはまるか分からないんですが、一つの見方として知っておいていただけると嬉しいです。
ずばり、あなたは「感度」は良いほうですか?
「不感症説」と「不満が上回る説」を疑いたい
私たちが喜びを感じたとき、つまり「楽しいな」「わーこれ好きだわー幸せだわー」って感じたとき、それを普段私たちは身体のどこかで判別してるはずなんですが、どうやって見分けてると思いますか?
あなたがふらっと歩いているときに、「今あなたはどうやって歩いてることを認識してますか?」という疑問を投げかけてくる人いたら案件です。怖いです。
だって「歩く」は「歩く」であって、だいたいの人は足や手の動きとか足裏の地面を踏んでる感覚とか、そういうなんとなくの感覚で「歩いてる」って認識をするじゃないですか。
それと一緒で、「”楽しい”は”楽しい”って感覚だよ。それ以外の何物でもない」って思いますよね。「”好き”は”好き”って感覚だよ。何言ってんだ徳永は。頭おかしいんじゃないの」って思いますよね(思わないでね)
でも普段意識していないだけで、ちゃんと身体のどこかで何かしらの反応があるはずで、それを私たちは無意識に感知してるはずなんです。
つまり、私たちが「何が楽しいと感じるのか分からない」「何が幸せなのか分からない」「最近何をやっても楽しくない」と感じてるときというのは、実は楽しさを感じているにも関わらず何かしらの理由があって気付けなくなっている心の不感症説か、もしくは感じている楽しさ(快)を大きく上回る「不快感」がある説が疑わしいんです。
どちらの説も、構図は一緒で。
「楽しい」って身体では感じているんだけど頭で認知できない。認知できないんだから「感じられない」と私たちは自覚しちゃうよねってことですね。
そういえばセックスも似たようなことって起こりえますよね。おしっこ我慢してたら気持ちいいどころじゃない的なね。
なのでどちらの説であっても「身体で感じていることを認知できるようになろうぜ」「感度を高めてこうぜ」ってことなんだと私は思ったんです。
実は私たちは常に幸せや楽しさに触れている
そもそも感度って、基本的には「鈍い」です。
心も身体も。
研ぎ澄まさないと反応できません。
着慣れた洋服を着てるときを思い出してみてほしいんですが、衣服が肌に触れている部分って違和感無いですよね?「服着てるなー」っていうなんとなくふわっとした感じがあるぐらいか、下手したらそれも感じないはずなんです。服を着てない状態でやっと感じる肌のさわさわ感的な程度だと思うんですよね。
でも、着慣れていない素材の洋服を着たときの居心地の悪さや、日ごろからタートルネックを着ない人がタートルネックを着たときの首周りの気持ち悪さっていうのは、普段慣れていない分敏感に察知できます。
慣れると、鈍くなるんですよね。
だから私たちは日常的に「着慣れた洋服」のように幸せや楽しさというものに触れてはいるものの、あまり意識できなくなってるっていうのがまず知っておくべき大前提じゃないかなと思います。
すっぽんぽんの裸で過ごさないと「私は洋服を着てたんだ感」を認知できないように、幸せや楽しさって気付きにくいものなんです。
それこそ、命の危険や震災などの生活の危機、身近な人の死に直面して初めて感じるありがたみってありますよね。
(ちなみにうちの母は毎日水道の蛇口に感謝を述べていて、その志は尊いなと思うんだけど、伝えている姿は非常にシュール)
それぐらい、当たり前のように私たちは幸せや楽しさに触れているんですよね。実は。
だから、私たちが普段の生活で「楽しいな」「幸せだな」となかなか思えないときがあるっていうのは何も変なことではなく、むしろ普通はそうなっちゃうよねと私は思うんです。
ただ、うつ病や不安障害などでそもそも身体が弱ってしまっている状態では、脳がうまく機能しなくなるのでいろんな感度が鈍くなっちゃうんですよね。
なのでそういう方面も疑わしいなと思ったら、迷わず病院へGOです。お医者さんに頼ってほしいなと思います。
喜びは万能だと、期待してた
で、私自身、この感度が大変鈍い時期が10年ぐらいありました(波はあったものの)
でも感度が鈍いとは思わず、単純に「楽しいことない」「好きなことない」「みんなは楽しそうで羨ましい」「私は腐ってる」みたいな認識でした。
だからやっぱりなんとか探そうとするんですよ。楽しいこととか好きなことを。
今思えば、そのとき私が探していた基準が甚だ高かったんす。
私が過去に好きだったもの(アニメ、オンラインゲーム、絵描き仲間のコミュニティサイト等)があったんですが、勝手にそれと同じぐらいの多幸感じゃなきゃなーと追い求めてた側面があったんですよね。
今日は楽しい!でも翌日には飽きた!っていう一時的な娯楽は見つかるものの、自然と不採用にしてました。当時私が日々包まれていたじめじめとした嫌な気持ちを払拭するぐらい心の底から楽しいって思えるようなレベルを想像しちゃってて。
心の底からモチベーションが自然と湧いてくるような活力剤のようなものが私もほしい!継続的に楽しさを味わえるような「これだ感」を見つけたい!
喜びは万能だと、私は期待してたんですね。
で、これが恋愛も同じだったんですよ。
めちゃくちゃ情熱的に心を揺さぶられる人にハマってしまった時期があった私。
その意中の男性以外の人たちから好意を向けられても、私は「情熱的に心を揺さぶられるかどうか」という基準でしか恋愛センサーが反応しなくなっており、「私はなかなか人を好きになれないタイプなんだな」「じゃあこれだけ好きになれたこの人は運命の人に違いない」的な信仰を深める一方でした。
今思えば、私のあらゆる感度は高得点(強い刺激)のものじゃないと食指を動かせなくなってて、「楽しめない」「幸せじゃない」と10年ほど嘆いてただけだったんです。
じゃあその楽しみや幸せの感度をどう高めていくのかというと、育てるもの・育むものなんじゃないかなと思い、私が実際にやってみた方法をざっくり3ステップでご紹介してみます。
ステップ1 どんな感覚か思い起こす
例えば、あなたが「楽しい」「幸せだなー」と感じるときって、身体はどういう反応をするかイメージできますか?
「ワクワクする」といったような表現ではなく、あなたにとってどういう感覚・反応になるんでしょう?
心がホクホクしてきた、思わず笑顔が出てしまう、目が大きく開く、鼓動が早くなる、猛烈に”好き”の根拠をまくし立てたくなる、無言になる、集中しちゃう、思考が完全にストップして無になる、座ってられない、口から「うおおおお楽しいーーー!」って雄たけびが自然と出ちゃう、誰かを巻き込まずにはいられなくなる衝動、などなど。
あとは、うまく言語で表現できない内面的な勢いのような感覚かもしれないし、映像やイメージで捉えている人もいると思います。
どんな感覚でもいいし、過去の楽しかった経験とか昔ハマってた記憶とかでもいいので、
そのときあなたの身体はどんな感覚・反応でしたか?
なんとなーくでいいので、その体感を思い出してみてください。
ちなみに私は両脚に貧乏ゆすりが出てきてカタカタと震えだす感じです。あと猛烈に何かをバシバシと手のひらで叩きたくなる衝動にもかられます。もし隣にシゲル(夫)がいたら、シゲルの身体をひたすらすごい力で叩いてます。
でも夫のシゲルは私とは全くの逆でして。
彼が心底楽しんでるときは無言になって動かなくなります。普段から口数が少ないくせに。
シゲルに「それってどんな感覚なの?」と聞いてみたところ、「心が凪のようになる。普通に”無”。虚無ではない。ぽっかりと空っぽになる感覚。」とのことで、それがとても心地いいそうです。
あなたはどういう感覚なんでしょう?
ステップ2 検索フィールドを変更する
でですね。
私たちが自分の「楽しいと感じること」「好きなこと」「幸せだなって感じること」って何かな?って考えるときに、自然と想像する分野っていうのがあるはずです。
「どのフォルダから検索しますか?」っていう参照元のイメージする領域があるはずなんです。
ゲーム、読書、スポーツ、旅行、温泉といった趣味フィールドで検索をかける人もいれば、働き方やライフワークのような生き方のデータベースで検索する人もいますよね。
ここで大切なのが、
私たちが「楽しい」「幸せだなー」と感じるときの感覚と似たような反応を、この無意識に検索をかけてるフィールド以外で味わったことってなかった?
っていう視点だと思うんです。
私たちはどうしたって自分を客観視できないし、認知に偏りがあるので、あえて意識的に(無理やり)見えてる範囲をずらさないと、普段拾えてない情報や見落としてしまっているものをキャッチできないんですよね。
だからもし今あなたがずっと「楽しめない」「楽しいことが分からない」「幸せが分からない」と思考の渦をぐるぐるしてるんであれば、この視点を意識してみるのはいかがかしらと思うんです。
私は「日本史が苦手だ」と思いながら20年以上生きてきたんですが、でも「(暗記をしなくていいなら)戦国時代めちゃくちゃ楽しいじゃん」を3年前に発掘しました。
なので、「楽しいー!」って心から感じるときと比べて、弱い気がする、持続しない、全然満足度は低い感じ、とかそういう程度の感覚でいいので、そういう感覚を今まで思ってもみなかった別の分野で味わったことがないかぜひ意識してみるのがおススメです。
苦手なことだけどやらされ続けてきたこと、嫌いなことなんだけど無意識に続けてこれていること系の分野から探すのも手だし、普段は絶対見ないYouTube動画や書籍に手を伸ばしてみたりとかね。
どうしても一人で世界を広げるには限界があるので、カウンセラーやコーチ業の人にいっぱい質問してもらうのもアリですよね。
ステップ3 継続的に振り返る
こんなふうに過去の経験を思い返すと同時に、日常的に日々の中でも意識し続けていきます。
今日という一日の中に似たような感覚はあったか?
予想だにしてないフィールドではどうか?
取りこぼしてないか?
で、「あった!」「これだわ!」っていう答えを見つけること自体が目的じゃないっていうのがミソ(もちろん見つかったら素晴らしいけど)
この思い返し続ける・意識し続けるというプロセス自体が鈍った感度を高めていく練習そのものですよね。
私はこのプロセス自体が楽しくないとやってられなかったタチなので、誰かと一緒に過ごしたりしてデータ取りしていきました。経験して、検索して。データ集めて、照合してみてって。
あとは私よりもはるかに人生を楽しんでる人と接点を作るようにしてました。一緒に遊んでもらったり、おしゃべりしたり。恩恵にあやかるのはとても楽で楽しかったです。
この「楽」とか「楽しい」って本当最高ですよね。
そんなふうに自分の中にある無意識の感覚を顕在化させたり、蓄積されてるデータベースを拡張・更新していったり。この過程がそもそも「楽しい」はずなんですね。
私もこの楽しさにもっともっと気付けるようになりたいですし、お客様にもお裾分けができるようになりたいなー!と日々思っています。
あくまで一例として、参考になれば嬉しいなと思います。
Kさん、素敵なご質問ありがとうございました!
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