こんにちは!
心理カウンセラーの徳永麻由子です。
前回(その①)からの続きです。
7カ月ぶりの続き更新です!えへへ
「誰かのためにこうしたい」とか「それが私の幸せ」って自信を持って言えても、その感覚って意外と信用ならないんだなぁというお話です。
なんなら心拍数上がってドキドキしてる?
そして私はそんな彼を泣きながら視線で追いかけます。
か、軽いわーーー。
そんな軽い感じでいいの?
私だけが変に気にしすぎていたの?
え、そんなもん?
え、
そんな感じでいいの??
これは、もしかして…
仙台に行ける??
10分~20分か、そのぐらい経ったころかな。
その想いはどこからどう考えても、どう感覚を研ぎ澄ましても、違和感は無かったんですよ(不思議)
こうして7カ月経った今思い出してみても、あの時の私は、家に残りたいっていうのが本心でした。
でも、実際にシゲルさんを目の前にして打ち明けたとき、私のお目目から大量の涙が出てきたっていう。
戸惑います。
夫を大切にしたいと思ってもいいし、自分の行きたいところに行ってもいい。
「誰かのためにこうしたい」とか「それが私の幸せ」って自信を持って言えても、その感覚って意外と信用ならないんだなぁというお話です。
肝心の旦那さんの反応
旦那(シゲル)さんが仙台行きを許してくれただけでなく、なにより快諾してくれたのが頭では嬉しかったのですが、心はまだ申し訳なさいっぱいでした。
なんなら心拍数上がってドキドキしてる?
いやもうよく分かんない。
とにかく全然涙が止まってくれないってことだけ、どっか頭の上の方で辛うじて認識している状態でした。
ちなみに私がひとしきり泣いている間、シゲルさんは私が言っている内容をあまり気にも留めない様子。
コーヒーを注ぎにキッチンへ歩いて行ったり、戻ってきたり。
かと思えばタバコを吸いに換気扇の方へ歩いて行ったり、戻ってきたり。
そして私はそんな彼を泣きながら視線で追いかけます。
で、シゲルさんはそんな私を見ながら
「え〜俺は大丈夫だから、行っておいでよ!せっかくの機会でしょ?行っておいで!」
とニコニコ?ケタケタ?笑いながら言い続けてくれました。
(あれは失笑なのだろうか?苦笑なのだろうか?)
「え〜俺は大丈夫だから、行っておいでよ!せっかくの機会でしょ?行っておいで!」
とニコニコ?ケタケタ?笑いながら言い続けてくれました。
(あれは失笑なのだろうか?苦笑なのだろうか?)
か、軽いわーーー。
そんな軽い感じでいいの?
私だけが変に気にしすぎていたの?
え、そんなもん?
え、
そんな感じでいいの??
これは、もしかして…
仙台に行ける??
10分~20分か、そのぐらい経ったころかな。
やっと私の頭の中にそんな想いがちょっとずつ芽生えてきました。
とりあえず、まだ心の整理と頭の整理ができない私でしたが、例のお断りをいれてしまった友達にだけはその場ですぐにLINEをいれました。
心で実感するまで時間がかかる
とりあえず、まだ心の整理と頭の整理ができない私でしたが、例のお断りをいれてしまった友達にだけはその場ですぐにLINEをいれました。
これこれこんな事情で断ったんだけど、シゲルさんが行っていいって!!!!
で、急いでホテルと飛行機の予約をしました。
ちなみにその段階でも、まだ心は困惑中です。
喜びのような感情はほぼゼロだったんじゃないかなと。
友達にどんだけ失礼なんだってね!
結局、仙台に行くまでの数週間ほど、私そんなにワクワクしてなかったような記憶があります。
実感がなかったのか、なんなのか。
福岡から出発して実際に仙台空港に到着したときに、「わ~~来れて幸せ!!!!!」とやっと実感してきたんですよね。
結果的にこのイベントの後、私自身も奇跡的な出来事を経験しましたし、実はシゲルさんにもこっそり変化が現れることに…!
自分の感覚に従わず、シゲルさんの意見に従ってよかった。
本当によかったです。
嬉しさがほとばしりすぎてる徳永と師匠 |
潜在意識はどこまでいっても分からない
ただ、あのとき。
私が一度、仙台行きのキャンセルを決意したとき。
仙台行きよりも、シゲルさんのために家にいたいと心から願っていたのは本当だったんですよね。
その想いはどこからどう考えても、どう感覚を研ぎ澄ましても、違和感は無かったんですよ(不思議)
こうして7カ月経った今思い出してみても、あの時の私は、家に残りたいっていうのが本心でした。
でも、実際にシゲルさんを目の前にして打ち明けたとき、私のお目目から大量の涙が出てきたっていう。
戸惑います。
心理カウンセラーなのに。
私はシゲルさんを支えたい。
それが私の幸せだ。
それが私の幸せだ。
と、今もやっぱり信じている感覚はあるんですが、でも、そこにはまだまだ気付けていない「遠慮」とか「申し訳なさ」がこびりついているんだなぁと感じさせられました。
で、この前回の記事を書いたのが今年の5月だったんですが、このエピソードに先日ご感想をいただいたんですね。いやもう本当にありがたい!
まゆこさんが、以前話してくれた事を思い出す。
ブログにも書いていた。
お弟子のセミナーと、夫の展示会?が、重なって、お弟子セミナー行くのやめようと思っていたけど、言い出してみたら泣けた件。
あれってさ。
普段なら、夫の方を、優先して、それが自分のしたい事だから。
自分のしたい方をちゃんと選んでると思ってるけど。
でも、それでいいの?って、頭に浮かんだ。
自分では、いつも通り、夫のために、したいのに。
自分のしたい事もあって。
それで、それに気付いた件。
私も今朝、ふと思った。
毎日、彼を探しに行ってた。
彼に会う確率あげたいから。
自分で決めたから。
会いたいから。
でもさ。
とっくの昔から、もう、負担だなぁと思っていたのよ。
負担だと薄々思ってるってことくらい分かっていたけど、でも、ねじ伏せていた。
負担じゃない。私は行きたくて行ってる。
行きたいに決まってる。
言い聞かせてきた。
今朝。
結果的には探しに行ったけどさ。
自分を受け入れたのよ。
ちょっとだけ、行くの嫌だね、って。
実はちょっと負担だったよねって。
まぁ、でも、行ったんだけどね。笑
自分がやりたい事をやっていても、じつは、まだまだ我慢してるってことなんだよねー。
彼に会いたいけど。
会いたくない日もあっていいんだよって。
自分で自分を許す。
自分で自分を許す、受け入れる。
その練習中。
受け取る練習です。マジで。
これ、神様からの試練だわ。
受け取る練習。
ほんと、
世界は、優しさと愛で満ちている。
この美しい世界に、浸りたい。
ねー、まゆこさん。
幸せは、暇で退屈かも、と思ったけど。
温泉みたいに、あったかいねー。
ブログにも書いていた。
お弟子のセミナーと、夫の展示会?が、重なって、お弟子セミナー行くのやめようと思っていたけど、言い出してみたら泣けた件。
あれってさ。
普段なら、夫の方を、優先して、それが自分のしたい事だから。
自分のしたい方をちゃんと選んでると思ってるけど。
でも、それでいいの?って、頭に浮かんだ。
自分では、いつも通り、夫のために、したいのに。
自分のしたい事もあって。
それで、それに気付いた件。
私も今朝、ふと思った。
毎日、彼を探しに行ってた。
彼に会う確率あげたいから。
自分で決めたから。
会いたいから。
でもさ。
とっくの昔から、もう、負担だなぁと思っていたのよ。
負担だと薄々思ってるってことくらい分かっていたけど、でも、ねじ伏せていた。
負担じゃない。私は行きたくて行ってる。
行きたいに決まってる。
言い聞かせてきた。
今朝。
結果的には探しに行ったけどさ。
自分を受け入れたのよ。
ちょっとだけ、行くの嫌だね、って。
実はちょっと負担だったよねって。
まぁ、でも、行ったんだけどね。笑
自分がやりたい事をやっていても、じつは、まだまだ我慢してるってことなんだよねー。
彼に会いたいけど。
会いたくない日もあっていいんだよって。
自分で自分を許す。
自分で自分を許す、受け入れる。
その練習中。
受け取る練習です。マジで。
これ、神様からの試練だわ。
受け取る練習。
ほんと、
世界は、優しさと愛で満ちている。
この美しい世界に、浸りたい。
ねー、まゆこさん。
幸せは、暇で退屈かも、と思ったけど。
温泉みたいに、あったかいねー。
夫を大切にしたいと思ってもいいし、自分の行きたいところに行ってもいい。
どっちもしていい。
いただいたご感想を読んで、私の方がとてもじんわりと温まるような心地になりました。
幸せを確認する相手が必要
幸せを経験しにいくって難しいんだなと改めて感じました。
「私の幸せはこれだ」「こうなったら幸せだ」と自分で心から感じていることも、実は、知らず知らずのうちに自分で作った世界の中で思い描いちゃっているものがまだまだあるんだなと感じたんです。
こんな理想なパートナーと出会えたら幸せだろうなぁとか。
なんだかんだ親を喜ばせたいからとか。
私がしてあげたいと思ってるからいいんだよとか。
旦那や子どもが喜ぶことが、今の私の何よりの喜びなんだよねぇとか。
もちろん、それが間違いだと言いたいんじゃないんです。
ただ、
私の幸せはもっとあっていい。
まだ見ぬ世界にも私が喜ぶことはあるんだ。
幸せを更新し続けていっていいんだ。
現に幸せだと感じることもあるんだけど、もっと楽しいことがあるのかもって想像したっていい。
私は今、これで十分だと心から思ってるんだけど、他にも大きな幸せがやってくるかもしれないって思ったっていい。
しかもそれを喜ぶのが私だけじゃなく、親も喜んでくれるかもしれない。
旦那や子ども一緒になって喜んでくれるかもしれない。
そんな意識を持ってみてもいいんだなぁって思ったんです。
で、それを誰かと共有すること。
自己完結させないこと。
「私が感じる私の幸せ」は、本当に私にフィットしているのか?
その基準って私らしいのか?
それ以外にも実は候補があるんじゃないか?
チャンスやタイミングって他にもあるんじゃないか?
そうやって、自分のことなんだけど、それを自分だけのことにしないこと。
相手がパートナーでも家族でもお友達でもカウンセラーでも、誰でもいい。
できればあなたが信頼できる人に。
共有してなんの意味があるの?って感じるんだけど、これが「幸せ」っていう視点でみていくと、とても大切なことなんだろうなって思ったんです。
相手の幸せも同じ
これって「自分が幸せになることで、それを周りの人が喜んでくれる」っていうことを認識できていない人とも言えるんですよね。
「自分の幸せ」を自分ひとりで完結させていると、本当の幸せとかけ離れてきちゃうよってことです。
「自分の幸せの定義」を自分の枠の中に留めているように、「相手の幸せの定義」もまた、こっちで決めつけてしまっているってことです。
ああ、書いてて耳が痛い…。
仕事で疲れて帰ってきた彼をたくさん労ってあげたら、シゲルさんは喜ぶだろうな。
親は、私がちゃんと良い人と結婚したら嬉しがるんだろうな。
実家の問題で苦しんでいる彼を、できる限り理解してあげたほうが彼のためだよね。
だって現にそう言われたことあるしね。
相手を見ていれば表情で分かるしね。
実際そうだしね。
その相手が本当にそれで喜んだとします。
ありがとう~幸せだ~って。
でも、それ以外の選択肢でも喜ぶかもしれませんよね。
徳永のように自分の幸せをちょっとだけ”はき違えてる”可能性もありますよね。
相手も、あなたも。
何か我慢してない?
誰かに遠慮してないかな?
本当は決めきれないんじゃない?
相手も、あなたも。
本当は他にもあるかもしれないよ。
もっともっと素敵なプランを作れるかもしれないよ。
今はまだ無理でも、いつか実現できるかもしれないよ。
あなたが喜ぶことを、あの人は誰よりも喜んでくれるかもしれないよ。
そんなあの人を笑顔を見て、あなたがもっと嬉しくなっちゃう、そんな未来があるかもしれないよ。
たとえうまくいかなくても。
思っていたようなものじゃなくても。
たとえ不完全でも。
ひとりだけでは作れない、喜びの輪っか。
大なり小なり、そんな循環を持てることが、本当の幸せなんだろうなと思います。
誰かと共有することで得られるステージ
そうやって、悩む過程を誰かと共有することが、自分ひとりだけでは経験できないような幸せに近づくんじゃないかなと感じました。
だから、そんな経験(共有とかチャレンジとか)をしてる最中は、困惑することが多いと思います。
だって未開拓の境地だから。
今までの私たちだったら選ばない選択肢や、思いもつかなかった世界だから。
そんな経験を繰り返していくうちに、「おや、案外悪くないな…」「これはこれで楽しいかも」「あーーー幸せーーー!」と幸せを実感できるようになると思うんですね。
ある種、トレーニングみたいなものです。
その繰り返していく経験の中で、「やっぱり私はこういうことがしたいんだな」とか「こっちだと思ってたけど、どうも違うみたい」って学びを得ます。
自分の中の幸せの定義を更新していくんです。
そうやって徐々に「これが私の幸せだ!」「ああなんて楽しい!」って自分にどんどん経験させてあげることができるんでしょうね。
そしてそんな幸せいっぱいのあなたを見ることで、周りの人が実際に喜んでくれるというのを後から知っていくことになるんです。
「自分が幸せになることで、それを周りの人が喜んでくれる」っていう実感は、それぐらい後から、徐々に徐々に浸透してくるんですね。
※カウンセリングだと、この実感を先に経験しちゃおうねっていうセラピーもあります。
私が仙台行きをキャンセルしたことで、一番最初に感じた「安堵」。
これは「旦那さんの側にいてあげたい」という私の気持ちが叶えられる安心感だと思っていました。
これは「旦那さんの側にいてあげたい」という私の気持ちが叶えられる安心感だと思っていました。
でも実はそうじゃなかった。
あなたが全部ひとりで決めちゃってることって何ですか?
「自分のことなんだから、あの人には関係ない」って感じちゃってませんか?
「自分の問題なんだから、自分でどうにかしないと」って感じちゃってることってありませんか?
そのまま誰かに打ち明けてみてください。
あなただけの世界に留まらないで。
相手へ打ち明けられないなら、友達でもいい。
私たちカウンセラーにでもいい。
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